汲む技術

Facebookで「伝わらない」についてともだちが書いていて、考えたことを書きます。いや、考えたことがもう既に頭の中にあるわけではなくて、いま考えながら書く、というか、書くことで整理していく感じなんだけどね。

一時期「伝え方が〇割」みたいな本がベストセラーになったとかで、車内広告などでよく見ました。読んでないし、何割だったか忘れたけど、たぶん……八割くらい?(てきとう)

わたしも、なにせ「なにを書いてるかより、どう書いてるか、だ!」なんて云っちゃうくらい、「どう伝えるか」に重きを置いている人間ですから、伝え方がものすごく大事だとはおもっています。しかし、伝える技術をどんなに高度にしようと、いや、それを高度にしていけばいくほど、減っていくものがあります。質量保存の法則ってやつですよね。いや、なんだか知らないけど、その法則。合ってなかったらスルーしてください。

伝え方を向上させればさせるほど失われるもの、それは「汲む技術」です。「一を聞いて十を知る」という言葉がありますが、これはすごく大事だとおもいます。これがまさに、汲むということでしょう。ところが、伝える技術をあげることによって、最初から十を伝えようとしちゃうわけですね。これでは汲む技術が衰えるのも無理はありません。一しか云わない、あとは汲んでくれ、という情緒が失われるわけです。おいおい、ここはアメリカか?(偏見)

さらに、昔、情報の入手方法がテレビや新聞だけだった頃、そこには字数や時間という限りがありました。人々は、限られた枠におさめられた情報を入手し、想像力を膨らませたり、見えないものを恐れたりしました。しかし、インターネット上には時間も字数も関係ありません。なんでも書けます。どんどん読めます。入手しほうだいです。だから伝えるほうは、「いかに簡潔に、手際よく、相手に負担を強いることなく、相手の求めている、必要なことを伝えるか」という技術を磨く必要がありません。Twitterの文字数制限だって、連続でたくさん投稿しちゃえばいいだけですしね。そんで、拡声器を持ったおばさんみたいに、わーわーがなり立てるわけです。伝えよう伝えようとしてくるわけです。汲む技術を失った人たちに情報を植え付けるには、がなり立てるしかないですからね。うるさいですよね。そうまでして伝えたいことってなに? そんなものあるの、ほんとうに?

実はこの汲めない最たるひとが、うちの実父です。どれだけ遠回しに、柔らかいことばを駆使しても、Facebookの友達申請を無視し続けても、まったく汲んでもらえませんでした。仕方なく「二度と連絡をしないでくれ」と、汲む必要のない直球のことばを投げつけました。そして、情緒のないことばを放ったことに、いまだにへこたれています。汲んでくれ。

伝わらない。これはもう、しょうがない。他人だし。分かり合えないし、他人となんて。親子ですら分かり合えないんだし。伝わらないひとに不満を抱くのはやめよう。こちらの伝え方の問題かもしれないし、ほんとは伝わってるけど伝わらないふりをしているだけかもしれないし。でも、汲めない、これはだめだ。汲もう。汲んだ上で判断しようよ、拒絶とか、承認とか、イエスとかノーとか。

汲めないひとが天敵だ。わたしは汲めるひとでありたい。もう、ひたすらに汲みたい。なんなら「俺さー」くらいで、「あーはいはい、それね、うん、わかってる」くらいのことを云いたい。「明日さー」くらいで、「オッケーオッケー、18時に、いつもの店ね」ってな感じで汲みたい。なんなら相手に主語しか話させたくない。そんで、汲む技術を磨いて、最終的には「汲み方が約八割強」って本を書いてベストセラーにしたい。その際は、ぜひ。いや、この先は汲んでください。

こどもは、育てたいようには育たない。育てたように、育つ。

子どもは、批判されて育つと 人を責めることを学ぶ。
子どもは、憎しみの中で育つと 人と争うことを学ぶ。
子どもは、恐怖の中で育つと おどおどした小心者になる。
子どもは、憐れみを受けて育つと 自分を可哀想だと思うようになる。
子どもは、馬鹿にされて育つと 自分を表現できなくなる。
子どもは、嫉妬の中で育つと 人をねたむようになる。
子どもは、引け目を感じながら育つと 罪悪感を持つようになる。
子どもは、正直さと公平さを見て育つと 真実と正義を学ぶ。
子どもは、励まされて育つと 自信を持つようになる。
子どもは、ほめられて育つと 人に感謝するようになる。
子どもは、存在を認められて育つと 自分が好きになる。
子どもは、努力を認められて育つと 目標を持つようになる。
子どもは、皆で分け合うのを見て育つと 人に分け与えるようになる。
子どもは、静かな落ち着きの中で育つと 平和な心を持つようになる。
子どもは、安心感を与えられて育つと 自分や人を信じるようになる。
子どもは、親しみに満ちた雰囲気の中で育つと 生きることはたのしいことだと知る。
子どもは、まわりから受け入れられて育つと 世界中が愛で溢れていることを知る。

うんうん。ほんとですよ。わかりますよ。しごくなっとく。わたしが人と争わないのは母の中に憎しみがなかったからだとか、自分を可哀想だとおもわずに済んでいるのは周りがわたしを憐れまなかったからだとか、人に感謝できるのはたくさん褒めてもらったからなのかなとか、尊重してもらえてたから自分を表現できるんだとか……人に分け与えられるのも、平和なこころを持っているのも、やはり母のおかげだなとおもいます。

しかしその一方で、わたしに巣食う強大な罪悪感や、抗えない恐怖、そして人を責める気持ちなどは、やはり環境に因るのかなともおもったり。ひとのせいにするわけではなくてね。

自分のこどもには、罪悪感だけは持たずに大きくなってほしいなとおもいます。産まれてきてくれて、ありがとう、と毎日云いつづけたい。

昨日の文章が下手すぎて吹いた

なんで昨日書いたブログあんな文章へたくそなん……?

ごきげんよう、堀井です。堀井世界観です。世界観ていう名前のひとの書いた本が気になる~! 尾崎世界観だっけ? 確かミュージシャンで、本名がユウスケ(漢字忘れた)で、書名もユウスケで、「ユウスケが世界観になるまで」みたいな本で、そんなんどーでもえーんじゃ勝手になっとれとおもいつつ、名前に世界観ってつけるひとの書いた本というだけで読みたい、世界観て。親近感しかないわ。あっ堀井親近感ってどうかな? どうかな? じゃねーよ。

しかしなんだ昨日のブログ。へたくそか。へたくそすぎか。笑える。どうした? 推敲しなかったのか? うん、しなかったけど……しなかったからとかでなく、しなくても元々であんな下手に書けないだろ。リズムがたいへんわるくて気持ち悪いよね、特に最後のところなど、「行ったらレポートしますね」ってなんだよ。なんだよ!(笑)←このくらいおかしいよ!

わたしはスルスルと流れるように読めるものしかなるべく書きたくなくて、喩えるなら水みたいなやつしか、せいぜいカルピス、なんだけど、昨日のはシチューである。ホワイトシチューである。しかもけっこう小麦粉いれたよね!! だまになってるよね、さいごのとこ!! あーもー最低だ。でもなんか、あえて直さずに、こうして「わかってますよ」的なことを書いてフォローしているという、みっともないことをしています。堀井です。

わたしは基本的にみっともない人間で、わたしからみっともなさを取ったらほとんどなにも残らないほどですが、然るに、わたしの考える「面白くて且つみっともなくない人間」っていうのはもうすごい天才か努力家のどちらかで、どちらにしろとても高いところにいて、わたしら庶民は「面白くないか、みっともないかの二択」しかないとおもうんですよ、そしたらもう断然みっともないほうがマシです。面白くないなら死んだほうがよいです。世の中には「みっともないなら死んだほうがよい」とおもうひともたくさんいるけど、わたしは、面白さのためならみっともないこといっぱいするな! だって面白くなければ生きてる意味ないもんね!

それくらいわたしの人生は面白かったか、というと、うーん……うん、面白かったですね。ありがとうございます! Miitomoっていうスマートフォンのアプリで、Miiという自分の分身にあれこれわたしについて質問されるのですが、なんかこう、自分のいままでを掘り下げるわけですよ……友情ってなに? とか、好きな異性はどんなの? とか、こどもの頃なにして遊んでた? とか、いちいち考えるわけです。でもなかなか面白いことって書けない、というか、面白いことを書くかマジで書くかの二択で、ついマジを選んじゃうっていう自分のつまらなさね。マジで俺がどう思うかなんてどうでもいいのに、マジな回答をしちゃう俺ね。要らんわ、お前のマジな心理、お前しか興味ねーわ、とおもいながらね。そんで、ラミーの回答がすごくおもしろくて、やっぱりラミーは天才だとおもった。ラミーっていうのはMiitomoをやっているわたしのともだちなんだけど、ラミーの質問のこたえを読んだり、わたしの回答にコメントをつけてくれたりするんですよ、それがいちいち、本当にすげえ面白い子で、子っていう年齢でもないけど、とにかくむちゃくちゃ面白いのにぜんぜんみっともなくなくて凄い。彼女は天才なうえに努力するひとで、わたしは彼女より天才的なひとと知り合ったことがなくて、もっとまわりのひとに「このすごい面白いともだちを見てくれ!!」って云いたいんだけど、ラミーは「そういうのめんどくさいから要らない」って絶対に云う。わたしがそんな風に云われたら「もっと、もっと頂戴!! 広めて頂戴!!」ってなるからそのへんがわたしはみっともないんだよなーと自覚はしています自覚はしていますが絶対に頂戴って云いますみっともないからね!!!

というようなことを久しぶりに垂れ流していますが全然あたまは使っていません(ざんねん。。。

とにかく昨日の文章が酷すぎて、大慌てで書いただけなんだけど、やっぱり毎日書かないとどんどん下手になっていくんだなーと痛切に思い知らされています。いま読んでいる大沢親分、じゃなかった大沢在昌(ある意味親分)の小説講座にも、絶対に毎日書け!! って書いてあって、ほんとそうだとおもう。スポーツと一緒で、使わない筋肉はどんどん衰えるので、毎日筋トレしないとあかんです。ブログは筋トレです。

そうそう、小説講座おもしろいです。わたしはハウツーものっていままでほとんど読んだことなかったんだけど、目から鱗が落ちますよマジで、「先のプロットを考えずに、主人公をこれでもかというくらい残酷な目に遭わせて、そのまま原稿を編集部に送る。そんで『やべーッ! 主人公どうなるんだ、考えなくちゃ、このままじゃ死んじゃうよ!!』って状況に自分を追い込む。すると、なんとか解決策が出てくる」とか書いてて、なにそのいい加減さ……! って痺れました。

とにかく編みかけの小説を終わらせたいので、なるべく毎日ブログを書いてリハビリしようとおもっていますが、下手くそすぎて脱糞するほどなので、無理に読んでくれなくていいです、トイレに行ってください。

四十代以降で結婚できる人は1.2%

6月になったので、あと三週間で四十路になる堀井です。早いね、三十代って。いや、でももう37歳くらいから40歳気分だったっていうか、このくらいになると別になんも変わんねーよなーっていうか、婚活パーティーのサイトなど見ると年齢制限が「37歳迄」の一般部門と「四十代・五十代」の高齢者部門(そんな書き方してないけど)に分かれてるからむしろ早く年を取りたいまであるっていうか、えっお前なに、婚活パーティーのサイトとか見てんの? なにそれウケるんですけど、って感じですよね自分でもウケます。堀井です。堀井です……。

いや言い訳しますけど、なんかつい二、三日前に、夜中眠れなくてふと「最近どこ行っても姐さん扱いだけど、四十代の婚活パーティーがあったら最年少だな」とおもって、くうくう眠る息子の横で検索しちゃったんですよ、「四十代 婚活パーティー」って。そしたらまあ案の定、出ますよね。そんなの見たら、ワクワクするじゃないですか。だってMAX59歳と出会えるんですよ、59つったら初老ですよ、初老……! どうせなら女性40歳~、男性は90歳迄、みたいなパーティーがあればいいのに。パーティーっていうか、介護?

そんな婚活気分のわたしですが、気になる記事を見つけました。

おおぅ……。

これによると結婚できない原因は以下の5つ。

(1)ワーカホリックタイプ
毎日仕事で忙しすぎて、生活のなかに異性が入る余地のないタイプ。人生に隙間がないため、結婚という要素を入れ込むことができない。

人生に隙間がない……うまいっ! 思わず膝を打ちます。お金を得るための勤労が週40時間以上あって、残りの時間はこどもと犬の世話、ひとりになれる時間は早朝か深夜のみなので、出会いもなければ親睦を深める(一緒に飲みに行く)時間もない。

(2)夢見がちなロマンチストタイプ
異性に対する理想が高く、それを自分でも薄々わかっているのが、このタイプ。この状態をこじらせると、理想だけがどんどん高くなって厄介なことになる。

あいた! そう、わかってるよ、この世のどこにもいないんだよ、笑える仏系男子とか、情緒と向上心があるのに精神がタフとか、わたしみたいなクズを好きになるのにクズでないとか、そういう男は存在しないんだよ、ファンタジーなんだよ……。

(3)トラウマタイプ
「うちの親のようにはなりたくない」「両親が離婚してしまったのだから、自分もきっとうまくいかないだろう」等と、結婚に対してネガティブなイメージを強く持ってしまい、身動きがとれなくなっているタイプ。

あいたたた……。いや、親じゃなくて自分がね、どうせバツ2だし、結婚向いてないの知ってるし、もう結婚したって相手の親御さんを悲しませるだけだからね、せめて周囲を巻き込むのはやめておきたいんだよ……。

(4)自分大好き哲学者タイプ
「夢」「感謝」「仲間」「志」などが口ぐせ。自分の夢を叶えることや自分の使命を見出すことに一生懸命で、「結婚は人生でやるべきことをやってから」と思ってしまいがちなタイプがこれだ。

ひっ……。いや、上の例えでいうと「感謝」しか当てはまらないし、そんな使命感とかはないけど、自分大好きな哲学者は別の意味で結婚に不向きだよね。ていうか他人との共同生活に不向きだよね。そんなに自分が好きで、そんなに考え事が好きなら、ずっとひとりでいたらいいとおもうんだ。

(5)ズルズル不倫orダメ異性にハマったタイプ
今現在、不倫をしていたり、過去に不倫をしたことがある人の中には、そのドキドキが忘れられず、普通の結婚生活に魅力を感じない人もいる。

これは唯一当てはまらないぞ……! 不倫したことはあるけど、別に、不倫であることの恩恵を受けた感はなかったし、駄目な男にハマったこともないので、普通の結婚生活に魅力を感じます。ていうか、普通の結婚生活ってなんだ? 2回したけどよくわかってないぞ?

というわけで、あと20日以内に結婚できないと、結婚できる可能性が1.2%になるようです。てことは、250人中3人か……うん、案外滑り込めそうだな、その気になりゃ。やっぱ四十代五十代の婚活パーティーに行くべきだな、うん。行ったらレポートしますね。

5月支出額

わたしの役にしか立たないお小遣いちょうですが、それがなにか?

前の月はこちら↑


1. 食費
39,000円ほどでした。3月4月ともに55,000円超えだったけど、すげー減ったな! なぜなら自炊の回数が激減したから……。仕事が17時までの日はダッシュでお迎え行って自炊するんだけど、それが先月の半分になったのと、むすこの父親が家事をすごくやってくれる月間なので(わたしにブチ切れられたため。永久的にやったらいいのに……)土日や19時あがりの日などは帰宅するとごはんが用意されてることが増えたから! あとおやつを我慢したから! 食費4万円くらいで抑えられるとうれしいな~。

◆スーパーなど家族の分 約13,300-
すくなっ!! しかもスパゲティ10kg2,530円買ってこの金額だよ。ぜんぜん自炊しなかった。3回くらいしかしてないかも。

◆おやすみの日の外食 約9,300-
ドトール2回と朝マック1回やってこの金額……遠出したのは浅草の三社祭くらいで、休みの日もあまり出歩かなかったからなー。保育園のともだちと休みの日も会って、公園とか近所のお祭りとか、まあお金を使いませんでした。助かります。

◆ひとり飯 約16,500-
これはなかなか頑張ったとおもう、飲み物込みだし。9時~23時のシフトのときなんか家で飯食えないわけで、そう考えると36食分なわけで、一食平均460円である。飲み物込み460円って相当きついよ? カフェオレで150円くらいとられるから、残り310円でお腹を満たしつつダイエットもせねばならんのよ? だからすごく頑張った、えらい……おやつも相当減らした……たまには食べた……。
A子にアドバイスしてもらって、おうちでスープを作るとかゆで卵を持って行くとかも、考えたんだけど、現状5時半起きの生活にそれを組み込むとなると、どうしても5時起きになってしまうので、いまは正直しんどい……7時間は寝たい……。


2. 雑費 約21,500-
よし減った……! ていうか、コンタクトや花粉症グッズ、美容院などの大きい出費がなかっただけなんだけど。

◆犬おやつ 約6,400-
2月に買った骨類がなくなってきたので補充。おやつはほとんど牛骨か豚骨。主に肉屋で買ってます。

◆化粧品類 約4,800-
コットン432円以外は全部洗顔料。去年の夏に大阪で買った洗顔料がすごく良かったのだが、ネットでしか売ってないし、ネットで買うと送料がかかるので、3つ買って送料無料にした……。あと、とりあえずなくなっちゃったのでつなぎに、近所のDSで千円で買ったやつ。

◆消耗品 約5,800-
電球(1700円もした! しかし4年近くもったので費用対効果は高いのかもしれん)、洗剤、シャンプーリンストリートメント、剃刀など。

TSUTAYA 約2,500-
アルバム10枚千円っていうキャンペーンをやっていたので乗っかってみた。B'zとか借りてみたんだけど、かっこいいです。高校生の頃男の子はみんなB'zが好きだったような記憶があるなー。

その他交通費や文房具などちょこちょこ。


3. その他
◆こども関連 6,650-
むすめと遊んだり、むすこになにか買ってやったり。なにかって、おもちゃかおやつだけど。

◆見た目関連 13,000-
乱暴なくくりだけど……服が6着で1,500円、夏用の帽子500円、サンダル3つで1,300円、雨靴2,000円、アクセサリーふたつで4,000円、腹筋ローラー1,500円、酵素1,800円、サプリ400円。

◆息子服 2,313-
◆保育園の会費 2,500-
◆傘 842-
◆定期 12,600-

先月、出費を10万円までに抑えたいと書きましたが、今月の出費は、97,500円ほどでしたー。あぶね、ギリセーフ!

……とおもったら、学費の納入があったよ……。というわけで今月の出費は197,500円ほどでした……貧乏暇なし……。

ホワイトデーにお返しなんて、すごく欲しいです

3年前に書いたものをぼんやり読んでいたら「ホワイトデーにお返しをしてくる男は絶対にいやだ!」って書いてて、なんか胸がぎゅっとなりました。わかるひとにはわかることだろうけど、こんなのは単なることばであって、ホワイトデーにお返しをもらうことは、当たり前ですがとてもうれしいですよ。と書けるくらいに、わたしも大人になりました。すごい。

しかし、わたしはずっと、ホワイトデーにはお返しを絶対するなと云いつづけてきました。おかげでほとんどお返しをもらったことはありません。そして毎年「はあ、今年もホワイトデーにお返しを全然もらえなかったな……」としょんぼりしていました。どうだ、すごいだろう!! 面倒くさいだろう!!

欲しいくせにどうして要らないアピールをし続けたのかというと、それはまあ、はっきりいって男を量ってたからですよね。男の人間性とか、価値観とか、思いの丈を、そういうことで量ろうとしてたわけです、「あいつ要らないって云ってたから買わなくていいや」っておもわれたなら、それはもう、その程度の想いだし、その程度の自分だし、その程度の男だから、と。ホントはね、「お前が要るとか要らないとか、欲しいとか欲しくないとかじゃないの、俺が買いたいから買ってきたの」ですよ、欲しいのは。「そもそもお前に俺の行動を決められるわけないじゃん、無駄なんだけどそのアピール、バカじゃねーの(笑)」ですよ、欲しいのは……!!! はい面倒くささ無限大!!! ていうかなんだそれ、乙女ゲームのやりすぎだよバーカ!!!

そんなわけで毎年、それはもう猛烈に要らないアピールをしましたよ。「ええ~悪いからお返しなんか全然いいよぉ~!」みたいのだと、実は欲しい感満載じゃないですか。そんなんじゃダメなんです。「日本の男たるものホワイトデーにお返しとか最悪、はっきりいって気持ち悪い、百年の恋も覚める」くらいのことを云ってましたね。そのくらい云ってたから、まあもらったことはほとんどありませんよね。当たり前ですよね。ハードル高すぎて誰も超えてこない。乙女ゲームにしか相手にしてもらえない。痛い……痛いよ……。

まあ、ていうかね、もしわたしが男子だったら、はっきりいって面倒くさいとおもうんですよ、ホワイトデー。そりゃ相手に因っては、何をあげようかな~ってワクワクできて愉しいとおもうんですけど、もしそういう相手が「日本男児たるもの……」なんて云ってたら「うるせー、俺はお返しがしたいんじゃボケ!」って云うか、「ホワイトデーがイヤなら、ホワイトデーとか関係なくプレゼントする」かのどっちかになるじゃないですか。そのどっちかが欲しいねん! でもそこまでの相手じゃなかったら「あいつもああ云ってるし、返さなくていいか~」ってなりますよね? わたしは、いわば相手に、返さない言い訳をあげてたつもりだったんですよ……!! いやまじで。やさしいな~わたしって、っておもってましたし。いや、いまもおもってますよ。やさしいじゃん、わたし。でもなんか、それを読んでたら、すっごく可哀想になってきてしまいました。こういう試し方するヤツって、たぶん「わたしはイイ女だから、こうやってアピールしてても、この高いハードルを乗り越えてお返しを貰えるはず!」っておもってるんですよ。それがひとつももらえないっていう……もしかしたら、ひとつもお返しを貰えなかったら哀しいから、それを予防するために、自分への言い訳をしてあげていたのかもしれません。ああ、マジで可哀想だな。

そんなわけで、おもわずネタばらしをしてしまいました。もうバレンタインに贈り物をしたりもしてないし、過去のことだからいいよね!

読んだ本、書きたいこと、生活

 読書記録は読書メーターにつけますと書いたけどいっこだけ。

その女アレックス (文春文庫)

その女アレックス (文春文庫)

 

すごかった……めっちゃおもしろかった。ひっくり返った(なにがだ)。

競作の締め切りまであと半月ですしそろそろ書き始めようとおもっているのですが、さてわたしはどんなものを書けるだろう、どんなものを書きたいのだろう、と考えると、決して純文学的なものではないような気がします。そもそも純文学と呼ばれるようなものはほとんど読んだことがないのであった、そういえば。

戯曲の課題でミステリー調のものを書いて、先生に、えっ、こういうの書くんだ意外ーなんでこういうのにしたの? 的なことを訊かれたんですね。プロットの段階で一度先生に見せて、これこれこういう感じのものを書きたい、と話したんだけど、それがいわゆる純文学的なお芝居とでもいうか、家族に起こる些細なことの顛末を丁寧に追ってゆく的な? そういう感じだったのに、仕上がりはミステリーになっていて、なんでこうなったの? と先生に訊かれて、正直そんなこと訊かれるとおもってなかったから答えを用意していなくて、なんも考えずに口をついて出たのが「こういう仕掛けがないと、観てるひとにたのしんでもらえないとおもったので」だったのは、後から考えるととても感慨深いとおもいました。

わたしはずっと自己満足のためにものを書いてきて、これから先も究極的には自己満足のためにしか書けないのだけれど、でも読むひとには愉しんでもらえないとどうしてもいやな気がする、というか、サービス精神なくして、わたしという人間の考えをただ表現したって、そんなの面白いわけないじゃんとおもう。そして面白くないものなんか誰も読まないし、面白くない芝居の脚本なんか書いたって誰も演じてくれないんだから、創作にはサービス精神を遺憾なく発揮しないとならんとおもう。もちろんわたしの場合は、だけど。もともとが面白いひと、賢いひと、魅力的なひとの書くものであれば、サービス精神なんかなくたって面白いんだよ、太宰とかさ。いや、太宰はけっこう気遣いさんだからサービス精神でいろいろ書いてた気がするけど、うーん、三島とか? 宮沢賢治とかさ。彼らの書くものが面白いのは人間力が高いからだよ。もちろん笑い的な意味じゃなくて、魅力的という意味で。

やっぱりこういう、読み終わって、うおー面白かった! と高まりつつ、かなしくて、まっとうで描かれるべきことを描いているものが、わたしは好きです。そういうものを書きたいけど、ぜんぜん書ける気がしないし、きっと書かないとおもいます。もう書きたい気持ちはなくなってしまったし、書けることもなんもないとおもう。卒業のために書くけど、それだけだとおもう。わたしはもうこのまま、つまらないひとりの、なんでもない、なんもしない、なんもできない、ただの肉の塊として、生きて死んでいくんだけど、全然それでよくなってしまったのだ。ざんねんなことに。

なるべく早く死にたいけれど、みずから死のうとするほどの意欲もなく、朝ごはんに酵素など飲んでいる。わけがわからんというのです。