いい部屋さがし・再

以前も書いたがわたしは引っ越しが趣味なので、ひさびさの引っ越しをあと数か月に控えてたいへん高まっている。そりゃもうたいへん高まっている。引っ越しが趣味なだけにむすこが産まれたあたりから怒涛の毎年引っ越しを敢行していたのに最近は3年も同じ部屋に住み続けていい加減飽きたし、ものをごっそり大量に捨てられるいい機会だし(主にむすこのものを)、やっと自分好みに部屋を作り変えてそれを自分の力だけで維持できるのもうれしいし、いろんなことがたのしみでたまらなくて、だから毎日不動産サイトを眺めたりIKEAとかのインテリアギャラリーを眺めたりしているので全然勉強が進みませんごめんなさいわかっています


IKEAギャラリー

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これとかたまらんし

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狭くてもものが少なければスッキリ!

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ふたりがけのダイニングテーブルなら6畳でもなんとかなりそう



この3年でわたしは基礎的な生活感みたいなものがけっこう変わって、いまの部屋を決めたとき大事だった部屋の広さや間取り、収納みたいなことが、いまはほとんどどうでもよくなっています。だって収納なんてものを減らせばいいだけのことじゃん。ほんとうに大事な数少ないものに囲まれて慎ましく生きていきたいです服がもっと欲しいです我慢しますってすぐこれだよほんとにもう!! ブーツほしい!!

で、5ヶ月ほど前に「お部屋選びの際に重視すること」みたいのを書いたんだけど、そのときからもうだいぶ変わっててびっくりしたのでもっかい考えてみる(暇か)


住むお部屋の条件2016秋(優先順)

◆家賃
まあこれはしょうがないよね。いちおう、7万円を上限にしておきたい。できれば管理費込み5万円台だと素敵だ。

◆エリア・沿線
埼玉高速鉄道にしぼりました。職場まで45分圏内で一番安くてラッシュがない! その代わり交通費がめっちゃ高いんだけど、会社から交通費が支給されるから問題なし!
ほんとは母や姉方面に近づきたいんだけど、軒並み家賃が高い上に通勤ラッシュがひどすぎて、HSPであるところの自分としてはちょっとしんどい……。埼玉高速鉄道なら、止まっちゃってもJRがあるから振り替えも安心。

◆小学校
越したい市の口コミなどを猛烈に読み漁り、3校にまで絞った。ここに書いてたときは7校候補があったんだけど、東川口にある第一希望は駅から遠いので諦めた。あと第三希望だったところも駅から遠いし、ごみごみした街中で自然がなさすぎるからパスして、第二希望の荒川沿いらへんか、鳩ヶ谷の二択に絞りました。鳩ヶ谷は、小学校中学校とも評判がすごくいいし、川口に比べると家賃がぐっと下がるので、スーパーの宅配サービス使う前提でアリかなあと。緑もけっこうあるし。小学校までの距離は最長1km、おとなの足で12分くらいまでで、通学路が危なくないこと。

◆造り
木造は完全NGにした。いろいろ調べると軽量鉄骨も木造と大差ないとのことなので基本NG。重量鉄骨はまだマシみたいだけど、間取りによって寝室が隣の部屋に面してたりするとやばいこともあるらしいので、RC、SRCにほとんど絞ることにしたよ……家賃は高くなるけど、神経質だからしょうがない。
しかし前に「上と隣がいなければ木造でも大丈夫だけどそんな物件はなかなかない」って書いたけど、最近の木造アパートは中階段になってて隣と面していない物件が多いことがわかった。でも音が響くのはどちらかというと上下階なんだよね。こどもが小さくてドタバタするので上階は厳しいし(クレームこわい)、下階にすると物音に悩まされるし……。唯一、2階の物件だけど下が会社ってところがあった(1フロア1世帯)ので、そこはアリかなーとおもってる。上階さんにドタバタされたらアウトだけどな、クレームとか絶対云えないし。こわいよー。

◆設備・階数
そんなわけで1階に住んだほうがいいんじゃねえか? ということになり、そうすると防犯的な見地からオートロックが欲しくなります……鳩ヶ谷だとオートロックもあるんだよけっこう、7万円くらい出せば。女子どものみの住居なのでできるだけ高層階にしたいんだけど、いま候補になってる中では最も上階でも4階。それ以上になると家賃が高くて手が出ない。

◆向き・日当たり・眺望
1階でも目の前が駐車場とかで開けていればヨシ。ひとつ、目の前が公園ってところがあって、そこは1階だけどありだなー。日曜の朝こどもの声がうるさい、とかあるかもしれないけど昔と違って日曜でも8時には起きてるから問題ないでしょう。逆に3階南向きとかでも目の前すぐに5階建てのマンションがどーん! とかだとアウト。だから階数とかの問題じゃないよね……。

◆環境
前に必須としたスーパーは諦めた。そりゃ近くにあると便利だけど、そもそも仕事を終えてむすこを学童に迎えに行って買い物して帰宅してごはん、というのが非現実的。なので宅配サービスを使う前提で考えてる。あとコンビニは無駄遣いするからあんまり近くになくていい。公園や川などが近くて、繁華街が遠いほうがいい。環境としては鳩ヶ谷か、川口の荒川沿いなら、まあどちらも良いかな。


ここまでが重要なやつ。あとのはぼちぼち。

◆築年数
これはやっぱりそこそこ大事だった。ボロさとかでなく、防音的に。築浅の物件は防音もやはりいいらしい。築40年とかだとSRCでも音めっちゃ響くよとか読んだ……こわい。あと、リノベーション物件とかで部屋がきれいになってても、隣の部屋がオンボロだったら窓の開け閉めとかすげーギーギー云うよとか、確かにそうだなとおもった。なので、なるべく築年数は浅いものがよさそうです。

◆広さ
最低30㎡、これはやっぱり最低限ひつよう。でも30㎡ちょうどくらいだと「え、せまっ!」てなるので、32~33くらいは要るなー。

◆間取り
ワンルームでも広さがありゃいいかな……とおもうようになった、IKEAとか見てて。生活に必要な部屋って、「寝る部屋」「食べる部屋」「勉強する部屋」「くつろぐ部屋」だとおもうんだけど、このうち同じ部屋でできないのが「寝る」と「勉強する」だとおもったので、最低1区切りはいるとおもったんだけど、別に広ささえあれば、自分で区切ればよくね? と気が付いた。

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こんな具合で、なんとかなるかなーと。まあ35㎡あれば仕切れるとおもう。

◆駅からの徒歩時間
いままでかなり重要視しておりましたが、考えてみるとわたしが小学生時代を過ごした家も駅からバスのところで、徒歩35分でした。親は通勤大変だったんだろうなーとおもいますが、こどもは学校と家の往復だから別に駅からの距離関係ないよね……。幸いバスはたくさん走ってるので、天気がよければ自転車、雨の日はバスでいいかなと考えるようになりました。近いに越したことないけど、遠いと安いんだからしょうがない。

◆初期費用
これも、そりゃあ重視したいけど、すげえいい物件が礼金2とかだったら悩むけど、でもこの先何年も住むつもりで今回は借りるので、やむなし! 最近礼金2のところとかないけどね。

◆バストイレ
気にしないけど、上のような希望をもとに探すとバストイレ一緒の物件は出てこない。古いワンルームだとあるかも? とりあえずどっちでも。
バランス釜は悩ましいところだなー。

むすめがオタクになっていた

お盆&母親の誕生日だったので、二泊三日で帰省をしてきました。こども中心の休暇なので当然のんびりできるわけもなく、暑さも重なって激しく疲れましたが、元夫の運転でほとんどが車移動だったので、そこだけはたいへんに楽ちんでした。車だと、荷物は積まれっぱなしだし、好きな音楽を大音量でかけながら移動できるし、大騒ぎもできるし、子連れの旅にはよいですな~。ひとりだったら電車のほうが当然らくちんだけどさ。明日はまた鈍行11時間の旅やで……。

で、娘や甥っことも久々にみっちり一緒に過ごせたんですが、なんか、娘がすごい変化していてびっくりしました。以前は、先の記事に書いたように、空気を読んで周りに合わせるタイプの子だったのが、どえらいマイペースになってました……あれ?! わたしの娘なのに?! 遺伝子どこ行ったの?! って感じ。

娘はいま、父親、おばあちゃま、伯母さまと4人で暮らしているんですが、この大人たちはみんな情緒が安定していて、誰も理不尽に怒ったりしないんですよ(とうぜん、理にかなった「お叱り」はあります)。暖かい家庭ですくすく健全に生活させてもらっていると、こどもも周りを気にせず自分のしたいことをして、云いたいことを云って、へんな我慢をしなくなるみたいで、やっぱり、持って生まれた性質よりも環境のほうがより強く性格を形づくるんだなあ、と、ものすごく勉強になりました。さみしいけど有り難い。

てなわけで、ひとの顔色を窺う、気を遣う、空気を読むといった行いは、どうやら遺伝的な要因よりも環境に因って培われる部分が大きいらしいことがわかったわけですが、であるならば、むすこはたぶんマイペースにはならないんだろうなーと考えると、また悩ましいぜこのやろう、っていうね。

どっちのほうが良いとか悪いとかそういうことではないし、生きていきやすさはあるだろうけど、生きていきやすいから良いという話でもないし、そんなことは考えたってしょうがないんだけど、でも自分で選択できないことである以上、やっぱり親としては考えてしまいますわな……。気にすることもできるけど意図的に気にしないことを選択する、っていうのが理想なんだけど、仏じゃないんだからそんなことなかなかできんよなー(元夫はこれに近いことができるので、ほぼほぼ仏です)。

わたしはマイペースで周りを気にしないひとにすごく憧れるし羨ましいとはおもうけど、でもじゃあいまからそうなれるって云われても多分ならないとおもうんですよね。お酒を飲むとすごくマイペースになれるから、そうなりたくてお酒を飲むんだけど、飲んでないときもそうなれるっていったら、それはやっぱりちょっといやで、気にしちゃうのはつらいけど、まったく気にしないのはもっといや、なのかなーとおもいます。「ものすごく気にする」と「まったく気にしない」の二択しかないとしたら、なので、ほんとはその中間がいいんだけどそんなうまいこといかないだろっていうね……。

まあ、まったく気にしないひとと一緒に暮らした経験上、そういう人と暮らすのは無理なことがわかっているので、むすこにはこのまま、気にするひとでいてもらわないと困るんですけどね。あ、そうか、だから気にする大人になるようにわたしも接してきてるのかもしれない、もちろん無意識にだけど。親はこどもを、ある程度無意識に、カスタマイズしているものなんでしょうね。良し悪しは別にして、そういうものなのかも。うーん、それはそれで、なんだかなあ……。

こどもがふたりいて、性別が違って、父親が違って、環境が違って、だと、いろいろ比較できておもしろいです(愉快という意味ではなく)。今後もふたりを比較しながらあれこれ検討してゆこうとおもっています。いろんなことを知るのは大好きだ!

ていうか関係ないけどむすめが激しくオタクになっていて、母としては「うぅーん……」と呻き悶えざるを得ない感じでしたよ! だってすごい直球でオタクなんだもん、見た目が可愛いから許されるけど、これあんた、ブスやデブだったら大事(おおごと)だよ? みたいな。いや別にブスやデブのオタク女は許されないというわけじゃないんですけど、それはあくまで一般論であって自分の娘だったら割と身もだえますよ。ブスやデブならせめてオタクにはなってくれるな、みたいな。元デブでブスのオタク女としてね。ブスとデブは継続中だけどオタクは卒業した身としてね。

って父親がオタクだから、まあ、そりゃそうなるよね、なんですけど。わたしはいわゆるオタク的な言葉遣いというものが嫌いなので非情に悩ましいわけですが、思い出してみればわたしも中学生の頃すんげえオタクで、すんげえオタク的な喋り方をしていたので(思い出すとゾクッとくる、そりゃあもうコテコテなオタク女の口調でしたよ!)、一過性のものとしてあまり気にせずにいようとおもいつつ、「おまえやめろよそういうの、オタクくさいから!」とついつい突っ込んでしまうのでした。自分が通った道だから余計気になるんだろうな……。

ああーほんと、なんか、おもしろいけどあれこれ気になるよ、こどもたち。気にしない母親になりたいけど、バランスのいい気にし具合にはぜったいなれないから、これからも目一杯気にしていこうとおもいます。うぐぅ

イヤイヤ期の乗り越え方

はい、前回の続きですよ。

というわけで、② しつけについてです。しつけっていうと重いんだけど、こどもに教えられることをどうやって教えるか、という部分ですな。

すごくよく訊かれたのが「イヤイヤ期をどう乗り越えたか」という質問で、ずっと連絡をとってなかった女の子が、これを訊くために久しぶりにメールをくれたりしました。最近また訊かれたので、「あ、これはみんな知りたいことなんだ、じゃあ書いておこう」とおもったわけです。なんかこれ訊いてくるときって、切実で、せっぱつまってることが多い気がするし。

なので今回は、②ーA, イヤイヤ期についてです(どんだけ長くなるんだこのシリーズ)

結論からいうと、イヤイヤ期は姉弟ともにありませんでした。なので、イヤイヤ期を乗り越えたことはありません。母に訊いたらわたしと姉もなかったらしいので、我が一族には無縁のような謎のイヤイヤ期。理由はよくわかりませんが、理由についていくつか考えてみました。

1) こどもが反抗できなかった

うちは娘も息子も、気性が穏やかで、自己主張するほうでもなく、すごく空気を読んでしまうタイプです。空気が「読める」ではなく「読んでしまう」と書いたのは、こどもにとって決して利点だとおもえないから(大人にとっては利点だとおもう、意図的に選択できるのであれば)。でもふたりとも否応なしに「読んでしまう」ので、周りの子に譲ったり、あわせたり、我慢したりすることがすごく多い。周りのお母さんたちからは「いい子だね~!」「やさしいね~!」と絶賛されますが、親としては、いい子とか優しいとかそういうことではないとおもうし、すごく心配です。でもそれも含めてこどもの性質だから、ちゃんと観て、ちゃんと肯定するようにだけ心掛けています。たとえば「ちいさい子に譲ってあげていたね」とか「あのとき云い返さなかったね、我慢してたのおかあさんは知っているよ」といった具合に。

なのでわたしに対してもすっごく我慢をします。わたしは「こどもをナメない」を信条にしていますが、同時に「こどもにナメられない」ようにもしていて、つまりそれは、「おまえは小さい人間で、俺は大きい人間、ただそれだけ」という感覚なんですが、わかんねーかこれじゃ……なんていうか「おまえには小さいがゆえにできないことがある、それはわたしが手伝おう。そして、わたしが大きくなったがゆえにできなくなったや忘れてしまったことについては、おまえの力を貸しておくれ」みたいな感じ。「親だから」というくくりで、これはやらねば、これはやってはならん、みたいなことをあまり考えないようにしているわけです。親だけど人間だから、機嫌がわるいときもあるし、間違えることもある、そのときはちゃんと認めて、ちゃんと謝る、みたいな。親だからちゃんとしなきゃって考えて我慢したり、できないことしようとすると、親であることがしんどくなるじゃないですか、だから、ひととして我慢する、ひととしてちゃんとする、ということはあっても、親としてはあんまりしてません。この違い、うまく説明できないんだけど伝わるだろうか……。

なのでこどもに対しても「お母さんなんだから(お母さんであるがゆえに)いつもにこにこしてる」みたいなことはなくて、「わたしはいま機嫌がわるい」ということは普通にあって、もともと気分のムラが激しいほうだし、メンスのあたりなんかは「あたしゃ今日機嫌わるいよ!」って宣言しちゃってます。向こうにしたら「知らんがな……」でしょうけど、しんどいのに親だからって理由でにこにこするのも、なんか変じゃん? ていうか無理、わたしには。だから不機嫌な期間が終わったら「ごめんねー! もうご機嫌だよーん!」って思いっきり仲良くすることにしていて、こどもはめっちゃホッとしています。そりゃそうだ。

なので、こどもはわたしの顔色をすごく気にします。それはもう、全然いいことだとおもわないんだけど、わたしも母親の顔色を気にして育ったほうで、それは思春期を超えるあたりまでとてもつらかったし、いやなんだけど、でもいま母親のことすごく好きで、ああいう接し方をしてもらって良かったとおもっているので、こどもにとっても、しんどい時期あるかもしれんけど、これでいいとおもってる、たぶん、わかんないけど!

といいつつまあ、こどもが親の顔色を気にするかどうかって、親の接し方とこどもの性質と、半々くらいだとおもうんですよね、体感。まわりの、全然親の顔色を気にしてなさそうなお子さんを見るに、まあ親の情緒が安定しててのびのびやってるタイプと、こどもがあんまり細かいことを気にしない天真爛漫タイプにわかれますもん。そのどっちも、だと最高な気がしますが……うちは親が情緒不安定な上に、こどもは神経質で繊細なので、そりゃまあ、顔色気にするよねっていう。そういう理由でイヤイヤができなかったという可能性は、あるとおもいます。

2) 好きにやらせていた

わたしは確固たる信念を持って生きているほうですが(読んでりゃわかるよ)、譲れない部分はせいぜい100に10個か、せいぜい20個くらいで、残りの80いくつは「どーでもいい」とおもっています。壁にクレヨンで絵を描いても、床に食べ物を撒き散らかしても、落ちていたわたしのものを壊しても、どーでもいい、とおもってました。なので、こどももけっこう好きにやっていたため、イヤイヤ期があったのかよくわからなかった、という可能性はあります。

上の例でいうと、壁のクレヨンは、一度やられたあとは「水で消せるクレヨン」に買い替えたし(実はアレ、完璧には消せないので注意だ。別に気にしなかったけど)、床に食べ物を落とすのは、じゃあ床をきれいにしておけばいいだけの話だとおもったし、落ちていたものを壊すのは、こどもの手の届くところに置いておく自分がわるいので叱るのは筋違いだし、なので叱らなかった、というか叱る理由がなかったというか。

ごはんを残すのも、「こどもにだって食べたくない気分のときはあるよなー、わたしにもあるし」とおもって無理に食べさせなかったけど、一生懸命作って残されるとイラッとするから、あんまり一生懸命作るのやめよーとか、そんな感じでやってました。まあ、それはいまでもですが。

あ、あとは大人の事情でこどもを急かすのは意識してやめてました。「早く!」っていうのが嫌いで、だってそれわたしの勝手なスケジューリングのせいじゃん、こども付き合わせてるだけじゃん、とおもってたので、急がせない、彼らのペースで、着替えも、靴を履くのも、歩くのも、やらせてました。それでもどうしても急ぐときは、抱っこさせてもらうか、「悪いんだけど、ちょっと急いでるんだ、いいかな」とお願いすると、ちゃんと急いでくれたので、「すいません、助かります、ありがとう」という風に接してました。母の家に住んでた頃は、田舎で、電車が一本乗り遅れると一時間こない、とかだったので、お願いして急いでもらうこともありましたが、ちゃんとお願いをきいてくれたので、問題なかったです。

あと「うるさい」とかもですね、静かにしててほしいのはわたしの都合なので、「静かにしててもらえると助かるな~」とお願いして、していてくれたら「助かるよ、ありがとう」という、そういうことがふつうだったので、困ったことにはなりませんでした。まあ、こどもの情緒が安定していたおかげでしょうし、生まれつき癇癪もちの子だとそうもいかないでしょうから、こればっかりは、ほんとうにありがたかったです。

しつこいくらい書いてますが、わたしはアンチベビーカーで、どこにでも抱っこか、手を繋いで歩いていたのもよかったとおもいます。ベビーカーって、自分も乗ったことないからわからないけど、絶対に尊重されてる感ないとおもうんですよね……荷物感がつよいというか。抱っこや手繋ぎであれば、お互いの速度と温度で進めるじゃないですか、こう、意思や欲求を確認し合いながら。それを、生後数週間からほとんど毎日やっておく、というのも大事だとおもいます。

好きなことを好きにやらせる、そのために、なにが好きかをお互いに伝えあっておく(確認する、伝えておく)、というのは、一緒に暮らしていく上でとても大事だとおもうので、それはもう、産まれた瞬間からのことですよね。どうやって産むか、からかも。無痛分娩も完全ミルクも、そうしたいひとはそうしたらいいとおもうけど、わたしはイヤだなあ、なんか、赤子との意思の疎通ができる貴重な機会を、ひとつふいにしてしまう気がして、もったいない。

3) あまりこどもとべったりしてない

実はこれは大きいかもです。上の子のときは産後1年くらいゆっくりしましたが、その後は夫(当時)が専業主夫になって家庭に入り、わたしは仕事に明け暮れていましたし、下の子は産後2ヶ月ほどで産休明けて、こどもは託児所に預けながらバリバリ働いてたので、こどもとみっちり付き合ってないかもです。わたしの当時の仕事は出勤もかなりルーズで、いまの職場のように「1分たりとも遅刻できない」という環境でなく、「すいませーん、1時間遅刻しました~テヘ☆」みたいなノリだったので、こどもとの生活には有り難かったです。周りも、まああそこは赤ちゃんいるし、という風にみてくれていたので、助かりました。

そのためイヤイヤ期も、仕事しながらだったし、あんまり覚えてないのかもしれません。こどもの父親たち(息子と娘は父親がちがいます)に訊いたら、イヤイヤ期あったよって云われるかもしれんな……という気もします。ははは、適当だ。

そんな感じで、ゆるゆるとなんとなく、気がつけば第一次反抗期を過ぎていたのでした。思春期にドカンと反抗されるかもですが、それはそれで愉しみ。

次回に続きます!

いい母親になんか特になりたかない

最近ブログ書いてないなとおもったら一ヶ月近く書いてなかったびっくり。この一ヶ月なにしてたんだろう……ポケモン集めて、レポート書いて、ウルトラマンフェス行って、ポケモン育てて、大阪行って、授業受けて、酒飲んで、麻雀して、ポケモン孵化させて、ユニバーサルスタジオ行って、奈良で国宝見て、泣いて、ポケモン集めて、レポート書いて、学友とリレー小説書きあいっこして、仮面ライダーのショー観て、ポケモン育てて、むすこが誕生日迎えて、さらにポケモン孵化させたりしてたけどその間ブログは一切書かなかったのか、ふーむ。

こうして、なんらかの決断を持って意図的に止めるでもなくブログを書かずにいることが一ヶ月ともなると、ウェブにものを書くという行為がほんとうに非日常になったのだなとしみじみ感慨深い。ブログサービスというものの始まる前、htmlタグをぱちぱち手書きで打ち込んでいたあの20年前からずっと、ウェブに何らかの文章を連ねるという行為はわたしの日常だった。それがこんなふうに、当たり前に非日常になってゆく。変わったのは、世の中のしくみだろうか、わたしの環境だろうか、それともわたし自身だろうか、そのすべてだろうか。

最近、「二十代を振り返るの記事がおもしろかったからぜひ三十代も振り返ってほしい」とひとに云ってもらって、そういうのも久しぶりで、とてもありがたかった。もうわたしは周りに「読んでるよ」と云ってもらうことも殆どなく、ブログを書いたところで、それがどうなるんや……みたいな気持ちがあったり、また文章がどんどん鋭敏さを失ってゆくのがたいへんつらく、それは自分の感受性がどんどん衰えていることであり、感性が鈍くなったらいいのにという気持ちと、しかしそれは40年間一緒に暮らしてきた家族との別れのようでもあり、それのなくなったわたしに一体どんな価値があるというのだろう? ともおもえてしまい、どちらにしろ感性の鈍くなった自分を露呈するような行為であるところの執筆ということができず、それでどんどん書かなくなるからもっと下手くそになってゆくという悪循環であり、もうわたしブログ書かなくていいよね(観鈴ちんの声で)……とおもうわけですが、それでもたまに「あ、あのこと書こう」と思い立って、書き始めるとこんなふうに全然関係のないことを書いてしまって主題まで辿り着けない次第です。

ちなみに今日書こうとおもっていたのは、こどもとの暮らしについてよく訊かれることをまとめて書いてみようのコーナーだったんですが、そういえば別にあんまり訊かれないよな……っていまはおもっています。

でもせっかく書き始めたから書こう。

もともとわたしはええかっこしいなので、Twitterに書いたことを読んだひとから「お子さんとの関わり方が素敵ですね」「理想です」「そんな関係性をこどもと築けるなんて目から鱗です」「堀井さんのこどもに産まれたかったです」などと云っていただくことがあり(マジですよ、マジで!)、最近も立て続けにそうやって云ってもらって、なんていうかそれは、うれしいんだけども、でもええかっこしいでやってることで、ほんとうはすごーくダメな親なところもたっくさんあって、単にそういう部分は書かないというだけなんですよね。それはもうほんとうに、わたしなんてすっごくダメですよ。ダメ親です。間違いねえです。

ただ、わたしは、わるい親ではないです。それは断言できます。

「いい親」の反対ってなんだろう、と考えると、「わるい親」か「ダメな親」だとおもうんですが、だとしたら、わたしは、まったくもってダメだけど、まったくもってわるくない、それはなんていうか、自分の誇りです。世の中にはダメでもなければわるくもない、いい親というのがいるのかもしれないけど、わたしはそんなふうにはきっと、たぶん、なれないし、なれなくていいとおもっていて、ていうかいい親ってなんだよ? 善悪の基準からまず決めようぜ、って感じだけど、まあそれは面倒くさいからいいとして、とにかくダメでもいいとおもう、わるい親でなければ、と、おもって生きていて、いい親がどんな親なのかはよくわからないけど、わるい親ってのは自分の中ですごくわかっていて、だから、いいかダメかで云ったらダメだけど、いいかわるいかで云ったらいい親だよなっていう、そんな感じ。あれ、何が云いたいんだっけ?

まわりの、おかあさんになった若い女の子たちの話を聴いていると、「いいお母さんになりたい」ってみんなすごくおもってるんですね。それで、わたしのことを、すごくいいお母さんだとおもってて、それはまあ、わたしが「いいお母さんぽい」エピソードをTwitterに書くからなんだけど、でもそれを客観的に読んでたら、わたしもすげーいいお母さんだなっておもうとおもうので、開き直ってあれこれ書こうとおもったのでした。

はい、ここまでが前振りです。すげー長ぇよ……読む気なくすわ……。

よく訊かれること① ごはんのこと

わたしは自他共に認める、飯に興味のない人間なので、こどものごはんにも殆ど注意を払っていません。どうだ、参ったか、ダメ親だろう!

ただ、自分の母親がごはんにすごく注意を払う人間で、幼少期からレトルトや化学調味料を食べてこなかったためか、いわゆるそういう食べ物に拒否反応が強いので、意図せずそういうものは与えてません。カレーの王子さまとか、魚肉ソーセージとか、不味いじゃん……身体にいい悪いとかでなく不味いものは食いたくないよ……。でも最近のレトルト食品や、クックドゥーみたいな調味料が合わさってるやつは、美味しいものも多いので、普通に食べてます(しょっちゅうじゃないけど)。マクドナルドも息子だいすきだし、月に1度は食べてるかな。

ただコンビニの総菜パンやおにぎりは、なるべくあげません(絶対じゃない。なるべく)。かばんの中で一ヶ月以上忘れ去られたままになってたおにぎりが、見た目にはまったく変わらないまま出てきたのを見てから、コンビニおにぎり怖い……っておもうようになりまして……。パンは、むすめを産んだ助産院で、なにがなんでもコンビニのパンだけは食べちゃダメだと強く強く云われたのが未だに忘れられず、です。

あとはもう、なんとなく、真っ白な卵や牛乳は使わないとか、白米じゃなく雑穀米にするとか(できれば胚芽米か玄米にしたいけど炊くのが面倒)、調味料は高くていいやつを使うとか(全然味が変わるので、ただ煮たり炒めたりしただけで抜群に美味しくなる。楽天で買って家まで配送してもらうのでスーパー要らず)、パンはパン屋さんで買ったやつしか食べない(コンビニ食パンのまずさは異常)とか……わたしが親に与えられてもともと持ってる味覚の部分などにしたがってるだけで、こどものためにどうこう、みたいなことはしないです。

ちなみにこどもの好きな食べ物は、カツ丼、オムライス、ハンバーグ、ラーメン。わたしと完全に一緒ですやん!

すごく長くなってしまったので、② 以降は、また次回に……。もし訊きたいことのある方がいたらお気軽にどうぞ。一応、② しつけについて(反抗期など含む)、③ おむつをどうやって外したか、④産院の選び方、産み方、⑤父親について、と続きます。

余談ですが、こどもに関するカテゴリーを作ろうとおもって、でも「育児」ってことばは嫌いだし「子供」という漢字も嫌いだし「息子」だけだと娘のことが書けないぞ、むむむ……と考えて、結局「養育」としました。しんけいしつですね。

名作映画

映画観てないなー。こどもと一緒にしか観ない。単純に時間がないのはそうなんだけど、いざTSUTAYAに行っても何を借りていいのかわからなくなる。先日、お誕生日だったので「今日はこどもが観たいやつ(ウルトラマンなど)でなく、自分が観たい映画を借りよう!」とおもって、悩んだ挙句ジム・キャリーの「ライアー・ライアー」を借りたんだけど、2時間みっちり観る時間は取れなかったので、途中まで観て返しました……。

というわけで、脚本家の方の選出した名作映画100本を、少しずつ観てゆきたい所存。

この脚本家さんのことは存じ上げないのだけれど、いま脚本を書く課題(正確には企画書を書く)であれこれ調べていて辿り着きました。おもしろくて勉強になる! 課題やるぞー。

30代は振り返らない

40歳になりました。
30歳になるときはmixiの日記で「20代を振り返る」という壮大な日記を10枠に亘ってつけてしまうほどに自分語りが好きだったのですが、驚くほど何も書くことがないまま40歳になっていました。びっくりです。

30代を振り返る、も書こうかなってチラリと考えはしたんだけど、そんなことに遣う時間も余力もないなとおもってやめちゃった。その時間でなにをしているかというと、ひたすら読書をしています、っていうと悠々自適みたいだけど月180時間くらい働いているので、ほんとうに遊ぶ時間は全然なくて、というか遊ぶ時間なんて必要ない、なんなら遊びたいという気持ちもない、お酒も飲みたくないし、誰にも会いたくないし、どこにも行きたくない、遊ぶ時間をくれると云われたら「要りません」と即答します、なぜならひとりきりで丸まって本を読む時間しか欲しくから……! オッ、疲れてるうー!

しかし今ひさしぶりに自分の20代を見返したら、ラブちんにティファニーの指輪買ってもらったりしてたんだね。知らなかった。じゃなくて忘れてた。わたしは人生で殿方に買っていただいた指輪が十数個あるはずなのに、いまはひとつも持っていない、うちふたつは結婚指輪だし、万単位のものもちらほらあるというのに切ない、どうせなくすなら質に入れればよかったんだマジで、そのほうが世界のためになるもんね(世界よくなーれ)

しかし読めば読むほどラブちんはいい男だなあ、いまのわたしはもう当時の彼より年上になってしまったけれど、あんなふうにオトナにはなれていない。

読み返すと、20代はほんとうに毎日遊んでたんだなー。全然覚えてないけど、云われてみればこんなだったなという気がする。毎日好き勝手して、やらなきゃいけないこと全部無視して、その日その日の欲望に忠実に、ただひたすらにやりたいことばっかりしてた。とんだ尻軽であり、無責任であり、ひどい生活であり、ひどい毎日であった。そのせいで仕事をくびになったり、離婚したり、でも自分は死ぬまでそうやって生きていくんだとおもってた。ちがかった。

まあ、この無節操な酷い時期がなければ、いまの「全然遊びたいとおもわない、どうでもいい、こどもと過ごせるだけでいい、俺のたのしみはそれだけ」という境地には至らなかったとおもうので、必要な時期だったのだろう。こどもを駐車場に放置したままパチンコに興じてしまうおかあさんは、若い頃に「……もうええっちゅうねん!」というくらい遊んできていないのだ。

40歳になったといっても、なにも変わらない。22歳くらいのとき、ラブちんと一緒にどこかのデパートに行って、「ラブちんの好きな口紅を買うから、どの色が好きか教えて」って云ったら、マリリンモンローみたいな真っ赤な口紅を選んで、買ったけれど全然似合わなくて、いつかこれの似合うオトナの女になろう、とおもったのだけれど、いまだに真っ赤な口紅は似合わない。いつか似合うようになるんだろうか。あの口紅は、とっくに棄ててしまったけれど。

やりたくないけどできることをやる

ほほう……おもしろい。

わたしの場合どんな感じかなーと考えてみました。
仕事にまつわるようなことだけ、思いつくものを書き出してみます。

①やりたくて、楽にできる
→アイデアを出す、うまいこと云う、司会進行、察する、汲む、空気を読む、気を配る、文章を書く、絵を描く、写真を撮る、おねだりする、酒を呑む
(それでお金をもらったことがあるものに限定して書いてみた。乳幼児と遊ぶのとかも得意で好きだけど、それを仕事にできるかというと疑問)

②やりたくなくて、楽にできる
ひとの話を上手に聴く、接待、販売、営業、調理、コミュニケーション、書類作成や伝票整理など事務全般、書きたくない文章を書く(ライター業)、デザイン、謝罪
(いままでやった中で、できたけどやりたくなかったようなこと。ひとの話を聴くのやコミュニケーションを図ることは、とうぜん愉しいときもあったけど、全体的に考えたら決してやりたいわけじゃない)

③やりたくなくて、できない
車の運転、機械いじり、マニュアルを読む、部下を厳しく教育する、クレーム対応(悪意の多いやつ)、整理整頓、掃除、肉体労働、農作業(虫が極度に苦手)、小学生から大学生くらいの子どもと関わる

④やりたくて、できない
バイクの運転、楽器の演奏、お年寄りや障がい者・病人などのお世話や援助

……こんな感じかな。
林さんは④をやろうとして失敗し、借金を作ってしまったそうだが、わたしの場合④のみっつは、「やれたらいいなー。でもまあ、向いてないの知ってるし、或いは努力してまでやりたくないし、やれなくてもいっか」程度のことなので、たぶん死ぬまでもうやらないだろう。お年寄りの世話については母が要介護になればやるんだろうけど。

ただ、①に文章を書くとか絵を描くなどと書いたものの、厳密にいえばそれだけで飯を食えるようなものは書けないので、芸術系の仕事が④に含まれるのかもしれない。いま、ものを書きたいけど書けないでアウアウ云ってるんだから、まあそういうことだよな。

で、しあわせにになるためには②をばんばんやったらいいそうです。……え、なんで①じゃだめなの? これをしゃべってたっていう番組観てないから①を目指しちゃいけない理由がよくわからんのだけど、まあ①を目指した場合わたしの成れの果てはスナックのママでしかないので(趣味は同人誌を書くことと、たまに地下アイドルとして活動する。いい年して)、まあ②を目指したほうが確かにマシな気はします……が、それって前に居た会社に戻れってことだよねきっと。ううーむ……。

なんかこうして考えると、前の会社はほんとうに、わたしにのびのびといろんなことをさせてくれて、ありがたかったなあとしみじみ感謝の気持ちが湧き上がってきます。最近ひさびさに前の会社の事務所に入ったらわたしのデスクが完全に荷物置き場になっててイラッとしました。取り返してやろうかな……

まあ、わたしはやっぱり死ぬまで接客業をやっていくのがお似合いなんでしょうね、という結果ですよね。わかってる、わかってるよ、やりたいというほどじゃないけど、楽にできるし、たのしい気持ちもあるし、つまり向いてるんだよ。なんかほんと、なんも考えないですげえ楽にできる仕事っつーと、店をまわすことなんだもの。

なんだかなあ。考えちゃうなあ。明日で40歳なのに、惑ってんなあ。。。