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いとしいあの場所

わたしは執着心の薄い人間だ。そりゃあなにかに執着したこともあったけれど、ほんとうはそれが大事なわけじゃなく、単なる見栄や虚栄心から手放したくないとおもっただけだったし、失ってほんとうに困るものなんてこの世にあるとはおもえない。もともとあんまり持ってないし、なるべく持たないようにしているせいもある。むすめを手放し、むすこも一度は手放したわたしは、もう、なにかを手放すことをいやがるということそのものに罪悪感をおぼえてしまうのだ。

たとえばかつて結婚した男たちや、毎晩のように酒を飲んで遊んでいたともだちは、誰もわたしのすぐ近くにはいないけれど、彼らに対する執着めいた独占欲は、もうとっくになくなっている。彼らが可愛いお嬢さんと結婚するなどといえば、なんとなくおもしろくない気持ちにはなるだろうけれど、だからといってどうすることもできないし、にっこり笑っておめでとう、と云える自信もある。

わたしたちは立ち止まっていることができないから、少しずつなにかをこぼしながら歩く。古い細胞がはがれるように、執着する対象も、執着心そのものも、ぽろぽろ落っことしながら歩くのだ。わたしたちは年を重ねて、それに慣れてゆく。おとなになる。

それでも、いまだに、執着から解き放たれていないとおもっているものがある。ほんとうに大事なものなんてない、と、こうしてわざわざ示さずにはいられないくらいに、不安でそわそわして、自信を持てないものがある。

それが前の会社だ。風俗で働きながら文筆や絵をちょこちょこやって、借金にまみれて暮らしていたわたしを、Rという会社が救ってくれた。社長のMさんはわたしの恩人だし、そこで出会ったひとたちにわたしは命を与えてもらった。あの会社に出会えなければ、わたしは三十になっても四十になっても料金の安い風俗店で働いていた気がするし、お酒や薬や、依存性の高いいろいろなものから抜けられなかっただろうし、こどもを産むという素晴らしい経験もできなかったし、たぶんそもそもまともに生き続けられなかったとおもう。いまのわたしが、本に囲まれて、むすこや犬と慎ましく暮らせるのは、Rという会社のおかげだ。すべてとは云わないが、母と姉と元夫たちと、あの会社のおかげだとおもう。

Rという会社は本当に素敵なところで、わたしは辞めてからも、何度も戻ることを考えた。Rで働くことはわたしの歓びだったし、Rはわたしを必要としてくれた。それにわたしがRにできることは、まだまだたくさんあるような気がした。わたしは社内でそれなりに責任のある立場にいながら、自分の後継者をきちんと育てるようなことができなかったし、わたしが抜けて困ったという声も聞いた。戻ってきてほしいと率直に云われたことも一度や二度ではない。

けれど、わたしに復帰を求める声は、わたしから遠いところでしかほとんど聴かれなかった。つまり、社長や、わたしの近くで働いていた正社員の子たちは、わたしに戻ってきてほしいとは云わなかった。調子のいいとき、わたしはそれを彼らの思い遣りだと感じ、調子のわるいときは、わたしがいなくなって彼らはせいせいしているに違いないとか、自分の都合で辞めたわたしを恨んでいるに違いないとかおもって泣いた。

事あるごとに、わたしは想ってきた。あの場所に戻れないだろうかと。あそこで働いていた十年弱、わたしはどれほど愉しくて、わくわくして、好きなことをやって、好きなものに囲まれて、笑って、泣いて、どきどきしただろう。もう二度と、あんな愉快で、情緒に溢れていて、やりたいことが全部できて、刹那的な、わたしにぴったりの場所では働けない。

そしてほんの少しだけ手伝いに戻ったこともある。そして、やっぱりだめだとおもったり、やっぱり戻りたいとおもったり、した。たぶんどちらを選んでも、そんなにつらいことにはならない。いや、戻れば確実に、失うものは少なくない。それでも、それを補って余りあるものを得られるのも確かだ。

結局、なにをいちばん大事にするか、なのだろう。わたしは、戻るということが「自分の愉悦や欲望を最優先する行為」だとおもうから、それがいやで選べないのだ。そう、あそこに戻れば、わたしは愉しい。毎日、間違いなく愉しいのだ。そして息子と過ごす時間は減り、身体は壊し、いま多くの時間むすこの世話をしてくれているお祖母ちゃんの世話は受けられなくなるだろう。息子は託児所に入り、わたしの酒臭い息を浴びて暮らすだろう。

(だが、それがなんだというんだ? まさかわたしは、専業主婦でこどもに時間をたっぷり割いて、酒を飲まず煙草は吸わず、毎食愛情を込めて手作り飯を食わせたほうが、こどもがしあわせになるとでもおもっているのだろうか? まさか!)

わたしはいつも、ずっと、なにがいちばんいいことなのだろうと考えている。なにをしたいか、ではない。なにをすべきか、それだけだ。酒を飲んでみんなでげらげら笑って、その場にいるひとたちがみんな楽しくていい気持ちになる店を作ることと、息子とふたりで静かに絵本を読むことの、どちらが好きで、どちらが大事で、どちらに意義があるかなんて、わたしにはわからない。そして、わたしにわからないなら、きっとこの世の中にいる誰にもわからないのだ。

戻りたい、戻れない、いとしいあの場所。