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読書感想文/青春ロボット

 わたしもお世話になっているCRUNCH MAGAZINEというネット文芸誌(ネット文芸誌? なんだろう、なんか……いやでもそう書いてあるし……)で知った作家さんの本が発売されたということで、久しぶりに小説を新刊で買いました。※どうでもいいけどこういうとき「知り合った」って書いていいものか、すごい悩みますよね……知った、にとどめておくのがわたしですが。向こうもわたしを知ってくださったので知り合ったという定義で間違いはなかろうとおもいつつ、相手にしてみれば自分はその他大勢という立場で「知り合った」は傲慢かしら……みたいな……でもこれくらいの距離感(ネット上で幾らかのことばを交わしたくらい)で「ともだちが本を出しました!」とかって特になにも考えずに書けちゃうひともいて、うらやましいなあとわたしはおもいます。ほんとどうでもいいね。

青春ロボット

青春ロボット

 

 まじめに読んだので、まじめに考えたことを書きます。偉そうに書きやがって、じゃあわたしに書けんのか! っていうとぜったい書けないんですけど、でもやっぱり思ったことを書きます。だってわたしが作者だったら、おべんちゃらじゃなくて本当の意見を聞きたいからね。ネタばれはしていないので未読の方もご安心ください。

1. 作風について
 わたしは佐久本作品のなにに心が震えるって、「爽やかさともの悲しさの絶妙な配分」なのですが、これもまさに、佐久本さんらしい爽やかさ、そして深みのあるもの悲しさです。好物です。ただ、爽やかさ7:もの悲しさ3、くらいの比率だったので、個人的にはもっと悲しいほうが好きですが。……でも、悲しみ要素の強い作品、悲哀押しな作品は独りよがりな仕上がりになりがちで、たぶん売れにくくなるとおもいます。クランチマガジンは「売れる作品」を作ることを前提にしてる(前に何かでそう読んだ気がするけど、ちがったかなー)ので、売るということに重きを置くなら、これくらいのバランスがちょうどいいのかもしれません。もうちょっと佐久本さんのドロドロした闇とかが見たいけど! まあそれも好みの問題か。
 ちなみに、売れるものを作るという方向性は、いわゆる芸術気質のひとからは「ケッ」ておもわれそうですが、すごく大事なことだとおもいます。売れないと書けませんからね。そして書いてくれるひとがいなければ読めなくなりますからね。でも、そこで売れ線志向になりすぎてしまうのも、読む側としてはやっぱり切なかったりします。わたしはこの本を買うために家の近所の本屋で、絵本以外の棚を久々に見ましたが(普段古本屋と図書館しか使わない)(それも本の世界に貢献できてないのでよくないんだけど)、雑誌と漫画とハウツー本とビジネス書とライトノベルのあまりの多さに辟易しました。わかりやすいものが売れる→売れるものを作る→わかりやすいものを作る→考える力がなくなる→わかりやすいものが売れる、の悪循環になってる気がする……。別に難しい本がいいってわけじゃないけど、教養を身に付けることは大事だとおもうのです。わたしは脳足りんなので云えた義理もないですが、少しずつでも難しい本を読めるようになっていかんと、マルクスウィトゲンシュタインやルソーの云ってることがいつまで経ってもわからんじゃないか! という焦りがあります。ほしいのは知識でなく教養、そして知恵!
 あれ、青春ロボット関係なくなっちゃいました、すみません……いや、だから売れることを念頭に置いて書くということは大事だけど、やりすぎてもダメだとおもう、という話です。青春ロボットで云うと、もうちょっと難しかったり悲しかったり、深みを追及してもいいのかなーという気はしました。……んん、いや、想定される読者層、ターゲットの問題なのかも。ライトノベル(キャラクター小説)から文学への橋渡し的なポジションを狙うのに丁度いい、とか。わたしは最近だと小林秀雄三島由紀夫をうんうん唸りながら読んでいるので、ちょっと物足りなかった感じ。あと一声欲しかったなー。

2. 物語や構成について
 物語については文句ないです。わたしは物語をつくる能力がないので、すごいなあとおもいながら読みました。物語としてのターゲット層も、学生から二十代くらい。ただ構成については、物語をもっと効果的に見せる方法があったのではないか、と残念に感じます。たとえば視点の切り替えについて、どうも短絡的な方法を採った結果に見えてしまいました。視点を切り替えて書くという必然性に気づきにくいというか……やっぱり、わかりやすくするためなのかな、と。視点を切り替えるという方法を採るならもっと徹底して、ほかのひとの視点を入れるなり、定期的に切り替わるなりしないと、零くん視点では語れない、都合のいいところだけ他の人の視点で語っておこう、みたいに見えてしまい、やや残念。とか、まあそういうちょっとしたことが気になりました。
 物語にぐっと入り込んで、その世界に没頭してるとき、違和感をおぼえてフッと現実に引き戻されてしまう、みたいなことが、わたしはいやなんですね。もったいなくて。構成って、それをさせないための技術、ってこともあるとおもうんです。この本はとても素敵な物語を持ちながら、けっこう何度も現実に戻されてしまうことがあって、それがとてもくやしいというか……「わたしは物語の中にずぶずぶに埋まっていたいんだよー!」とおもいました。

3. 題材や人物について
 誰にでもとっつきやすい題材で、親しみを持って読めるとおもいます。が、後半ぐいぐい卓球シーンが増えて専門用語が頻発されるようになり、このへんはついていけませんでした。あまりにも卓球を知らないし、見たこともなければやったことも殆どないので、情景が浮かばず置いてけぼりになってしまった感じ。でも、知らないひとにはわからない、という点で卓球に限らず何でもそうなので仕方ないのかなー。かといってあれ以上卓球についての細かな説明を入れるのも、ちがうとおもうしなあ……。話の流れを考えれば、後半零くんの打ち込む素材は卓球で間違いないとおもうので、あとは専門用語のバランスとかそういうことなのかしら。んー。いや、わたしの好みの問題かも、やっぱり。スポーツとか、苦手だから。
 たぶんわたしは今後ものを書くときに性風俗とかSMクラブを避けて通れないとおもうんですが(避けて通れよ)、知らなくて興味もないというひとを置いてけぼりにしない技術ということを今まであんまり考えてなかったなーと気づかされました。ネットにものを書くと、やっぱり無料で読めるから「興味ないなら読まなければいいじゃん」ってなりがちですよね。わたしはずーっとネットでものを書いてきたので特にそういう傲慢さを持っている気がして……「読んでもらうためにどうするか」って大事だよなーと考えさせられました。ってすぐ青春ロボットからずれますね、すみません。
 人物像については、出てくるのがほとんど中学生と高校生なので、そこにちょっと深みのある人物をひとりズシンと置くと、作品全体が安定すると共に、わたしのような中高年層のこころを掴むのではないかしら。博士でもいいし、先生でもいいし、もうちょっとしっかり誰か描いて欲しかった。保健室の先生はそういう意味ですっごくよかったとおもいます。でもちょっと足りない……。
 あとは零くんまわりの女の子たちが美人揃いだったので「チートか!!」とおもいました。不美人にだってそこそこいい女はおるんやで……。ふたりとも美人である理由と必然性は! と、不美人であるところの中高年女性などはすぐ血気盛んに異議を唱えるので気を付けたほうがいいとおもいます(なにをだ)。

4. ことばについて
 佐久本さんらしい、思い遣りのあることばの連なりで、読んでいて暖かい気持ちになります。若干、読点の位置や、てにをはに関して突っかかりました(現実に引き戻されちゃう的な)が、気になるほどではないとおもわれます。読点の位置は好みですしね……。平素なことばの連続で最後まで飽きずに読ませるというのは、ある意味凄いことかもしれません。ほほお、と唸るような美しい言い回しも幾つか。技術点の高さではなく芸術点の高さで読ませてくれる作品なので、むずむずすることもなく安心です。最近のキャラクター小説系はテクニックの押しつけが気持ち悪くむずむずすることが多いので……これもまあ好みの問題ですが。


 そんな感じで、つらつらと偉そうに書き綴ってみましたが、次作もたのしみにしています。次作はぜひ、もっとドロドロした、孤独全面押しみたいなやつでお願いしたいところです。売れなさそうですが!