読んだ本、戯曲、もろもろ

選評を読むことにハマっているわけですが、野田秀樹の第53回岸田國士戯曲賞選評(2009年)を読んで、あいたたた……とお腹を抱えました。

今年は、九本の候補作があった。すべてが、「家族」「人間関係」「愛情」でくくられる作品だった。この傾向が、「今」を象徴しているのであれば、面白いことなのだが、寧ろ、何も象徴していないかのように思える。だから、読んでいてもわくわくしない。
 そこで書かれているものは、その作品に登場する人間たちの間だけの人間関係である。
 外側と言うものがない。世界というのは、内と外でできているものだろうに、書かれているのは、内側のことばかりである。外側が想像されることもない。崩壊しようとしている外側でもいい。幻想の外側でもいい。とにかく何も書かれていない。たまに書かれていてもありきたりで、関心がもたれていない。これは、人間関係という芝居の根幹のようなものを書いていながら、実は、その関係を作っている共同体と言うものに無関心であるからだ。無関心でない場合は、その共同体の造型がただの借り物であったりするからだ。
 「人間関係の危機」を描く以前に、「内側の人間関係」をしか書けなくなっていることが危機であろう。
 ホームで試合をしてばかりいるひ弱なサッカー選手のようである。アウェイへ行って闘って来い、と言いたくなる。昔なら、「偶には外へ出て走って来い!」の一言で片付いたのかもしれないが、今は作家が集団で「家」に引き籠っているような現状だ。

それから、第49回の井上ひさしの選評もキました。

舞台の上に、ほかの形式ではとても表現できないような特別な時空間を創り出すこと。その特別な時空間に貫禄負けしないような強靭で生き生きした言葉を紡ぎ出すこと。そして、この二つがうねりながら一つになって、ふだんでは、「見ていても見えず、聞いているのに聞こえない」人間の真実を観客の前に提示すること。しかもその観客は一人や二人ではなく何百何千にも及ぶので、よほど強力なプロット進行を仕掛けないと、それらの人たちは一匹の巨大で生きた観劇共同体にはならないだろうということ……劇を書くということは、以上の難問を乗り越えるための苦役にほかなりません。これが自分で作品を書くときも、ほかの作品を読むときも、評者が頭のどこかにおいている物差しです。

ううう、書けないよう戯曲うううう

ちなみに53回の受賞作は『幸せ最高ありがとうマジで!』(本谷有希子)、49回は『三月の5日間』(岡田利規)と『鈍獣』(宮藤官九郎)、全部読みましたがおもしろかったです。

ほかに読んだ戯曲

生きてるものはいないのか

生きてるものはいないのか

 

いやおもしろかったー。こういうの好き。このひとの、ほかの戯曲も読みたい! っておもったら、あんまり出てないみたいで、しょんぼり。

あと課題になってる井上ひさしをいくつか読み始めましたが、いずれも冒頭でくじけました。うーん、なんか惹かれない。猫虐待や家庭内暴力の話を知ってしまったからだろうか……。

太鼓たたいて笛ふいて (新潮文庫)

太鼓たたいて笛ふいて (新潮文庫)

 

 これと

イーハトーボの劇列車

イーハトーボの劇列車

 

これですが、どちらも途中でやめてしまいました。
日本語が美しいのも思想が純粋でまっすぐで、表現がやわらかくてやさしく、学ぶべきところがたくさんあるのはよくわかるんだけど……なんだろうね。いまじゃないってことかなあ? うーむ。課題は野田秀樹三島由紀夫でいくか……。

井上ひさし全選評

井上ひさし全選評

 

一方、これは、すごいなあとおもった。他人の作品に対するまなざしが温かい! 新人作家たちの、書こうとする気持ち、書いたという行為に、真摯に寄り添うような姿勢が素晴らしいとおもいました。そして、ことばに対して、書くということに対して、とても誠実。自分をすごい人だとおもってないんだなあ。見習いたいです。

井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室 (新潮文庫)

井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室 (新潮文庫)

 

こちらも、すごかった。素人さんたちに対してあんなに礼節を尽くせるなんて! 驕ったところがほんとうにない。なんで妻を殴ったりするんだろう……ふしぎだ……。

あと『鈍獣』がおもしろかったのでクドカンさんのエッセイなど。

いまなんつった? (文春文庫)

いまなんつった? (文春文庫)

 

さらさら読めて、おじょうずだなあとおもいました。何度か吹き出した……電車の中で読むのは危ない。これ読んで松尾スズキさんの書いたもの読みたくなったんだけど、戯曲は近くの図書館にないー。買うか……とおもったら、職場近くの図書館に二冊あるらしい。こういうとき、3つの区の図書館利用証もってると便利です。

あと全然関係ないけど

ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く

ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く

 

まさにロストジェネレーション世代、自己愛満載で高卒で即フリーター、これはわたしについて書かれている本だわ……! とウキウキで読みました。興味深い記述もあれこれあったけど(『全能感を維持するためになにもしない人間』なんて、まさにわたしのことでした)、全体的にはいまいちピンとこなかったなー。たぶん、基本的に親がステレオタイプでなく、塾も習い事も未経験、高校は絶対落ちないところを選んだので受験戦争も知らず(全能感を維持するためにな!)、就職氷河期も知らず、非モテでもないし、クレクレ婚活女でもないので、世代特有の「あるある感」が薄かった、のかなあ。

んー、なんだろう。わたしはたぶん「わたしのことを知りたい」気持ちはもうなくて(そらそうだ、こんなトシだし)、どっちかというと「世の中どうなってんの? みんななんでそうなの?」という素朴な疑問のこたえを求めてこれを開いたのかもしれず、けれどそれは心理学ではなく社会学の範疇みたいで、もうちょっと社会学の本を読んでみなくては、とおもいました。ちなみに宮台真司は苦手です。

自分を好きになる方法

自分を好きになる方法

 

本谷さんのわりと最近の小説。新しいことをしようとしているなーという印象。でもおもしろくなかった。これ、彼女が書く必要ってあるんだろうか。

昔の選評を読んでいると「そろそろ自意識の爆発したヘンな女が暴れる系は卒業したらどうですか」みたいなことを云われていて、作家ってほんとうに大変だなとおもう。わたしは本谷さんのそれが読みたいんだよなー。「腑抜けども~」や「遭難、」などの、むちゃくちゃな女が既成概念ぶっ壊してくれるのが愉しいのに。カタルシス? むずかしいことはわかんない。

 戯曲がおもしろかったので、まだ読んでない小説をばーっと読んだけど、

グ、ア、ム

グ、ア、ム

 

これも

ほんたにちゃん (本人本 3)

ほんたにちゃん (本人本 3)

 

これも

ぬるい毒

ぬるい毒

 

これも、あんまりおもしろくなかった。
やはり本谷有希子は戯曲なんだ、きっと。劇作家だもんな。といいつつ、まだ嵐のピクニックを読み途中。

あと何を読んだかなあ……もうばんばん読んでばんばん返してるから忘れちゃった。
レポートやらなくちゃなのに戯曲ばかり読んでいる。いかん。いかんいかんいかん。

8月ぜんぜん仕事ができなかった(学校行ってたから)のでお給料がいつもの半分くらいで、しかも往復の新幹線代とか宿代の引き落としがすごいことになっていて、近年稀に見る貧乏。昨日の朝コンビニのパン、昼コンビニのパンふたつ、夜抜き、今日の朝コンビニのパン、今日の昼コンビニのパンふたつ、みたいな感じ。いや、おにぎりは糖分が多すぎて太るからさあ、いちばん安くおなかがいっぱいになるのはパンなんだよ……。赤いきつね緑のたぬきも安くていいんだけど、職場はスープを残せないのがけっこうつらい(控室に残り汁を処理する方法がなく、においの出る食品を控室から持ち出せないため)。一時期カップやきそば食べてたけど、あれも糖分多すぎていまは無理ー。あっという間にふとるー。

というわけで不健康です。風邪ひきそう。