ゲスの極み乙女。論考

というわけで昨日の続きです。

前回までのあらすじ
感覚の鋭さだけを己の武器にして生きるバツ2のアラフォー、堀井・アンガジュマン伽藍ちゃん(仮名)。今日も今日とて感覚をひりつかせながら、敏感な六十代をゲットすべく我が道を進みます。さて、そんな伽藍ちゃんが気になったのは、なんといまをときめく渦中の人、ゲス乙女の彼らしいのですが……?

(まあどうでもいいんですけどね)

というわけで、ゲスの極み乙女。の川谷くんがとても興味深いのであります。川谷くんはその楽曲から敏感な男子であることがありありとうかがえるのですが、二十代後半で成功していてそれほど苦しんでいるふうでもない、ように見えるんですけどどうだろう、もしかしたら苦しんでいるのかしら、だとしたらそれを包み隠す謙虚さすら身に付けてしまっているというわけで、ふーむことさらに興味深い。

ちなみにたいへん好奇心をくすぐられる対象ですが、好みか否かで云えば確実に否、まったく好きな男子ではありません、髪型がへんだし。(というようなことを素人に勝手にわーわー云われるんだから有名人ってほんとたいへんですよね)

さて、行為でみればわたしは川谷くんよりももっとずっと下衆なことをしているし、おそらくしていなかったとしても彼のやったことを下衆な行為だとは全くおもわないのだけれど(っていう仮定は意味がないんだけれど)、散々叩かれているみたいなので、世の中には暇なひとが多いんだなとおもう。わたしは川谷くんはぜんぶ計算でやっているとおもうけれど、それは売名行為なんていう、なんの鋭利さも持たない愚鈍なことばで表されるようなものではなくて、ていうかそもそも、もし売れるためにスキャンダルを起こしたとしても、それのなにがいけないんだろうとおもう、売れるために頑張ってるひとたちが売れるためにする行為がなんで嫌悪されるのかわからない。だって芸術家のほしいものは知名度なんかじゃないんだから。

そんなわけで、川谷くんの行為は綿密に計算されたマネジメントの一貫だとわたしはおもう。相手役にベッキーというのがそれを物語っているじゃないか! あんな適役が他にいるだろうか! 金と好感度(と称されるもの)は持っているけどなんとなく大衆の誰にもそれほど好かれていなさそうで、あれがもっと格下のタレントでもダメだしアイドルや歌手や女芸人でもダメ、女優なんてもってのほかだし、恋多き女や、女の方こそ知名度欲しさに計算したんじゃないのと裏読みされすぎるタイプでもいけないし、お金を持っていなさそうなタレント(元モー娘。とかアイドルあがりのあたり)でもいけない(謹慎したときの生活が心配されちゃうからね)、つまり女の選び方という点に於いては一番敵を作らない選択なのだ、あれが計算の上でなくてなんだっていうんだ!

まあこれが三代目じぇーそーるぶらざーず(名前しか知らない)のひとだったら話は別だけど、わたしがあれを計算だと感じる根拠はゲス乙女さんたちの楽曲にある。

順を追って話そう。わたしがゲスさんたちの楽曲を知ったのは娘(10歳)経由であった。わたしの母や元夫、姉や甥っこらと車を走らせていた際に、娘や甥っこがゲスさんたちの歌が好きだと云って、元夫のスマートフォンに入っていたゲスさんたちの曲を車中で延々リピートして聴いていたのである。おそらく去年の夏だったか、或いは秋から冬に入っていたか、そのとき歌詞は読まないまでもぼんやりと耳についていたのだったが、昨今すっかり存在は忘れていて、それを思い出させたのが、cakesというインターネットマガジン的なものの記事であった。「『私以外私じゃない』って本当にそうなの?」みたいな内容で、要は、私と私じゃないものをどこで線引きするのか、私とは一体どこまでなのか、ということを哲学者(学者さん)に訊いてみよう、といった記事だった。それはたいへん興味深く読めるもので、わたしも、わたしとわたしでないものの境界線とはいったい何であろうか、としばし考えたものである。

そして、それ以来あの曲のメロディーが頭の中をぐるぐる回って離れなくなってしまったのだ。そうなってしまうともう、「私以外私じゃないの~」というフレーズ以外なにもわからないことも気持ちわるいし、やむなくYouTubeでその曲を聴いてみたところ、……ん? これは……となにか感ずるものがあり、TSUTAYAで最新アルバム(全部レンタル中で最後の一枚だった)を借りてiPhoneに入れ、何度か聴いてみたのだが、むう、ものすごくテクニカルだ、なんだこれは! とたいへん興味を惹かれてしまった次第なのであります(あっ敬語)。

なにに興味を惹かれたかといっても、音楽についての知識がまったくないわたしには説明が非常に難しいのですが、まあそれをたいへん象徴しているひとつが「私以外私じゃない」という観念的な歌詞でありまして、まあこれは、当たり前のようで当たり前ではない、思いつくようで思いつかない、書けるようでいて書けない、ほんとうになかなかたいした文章であるわけですよ。わたしのように二十年ウェブで文章を転がし続けて、椎名林檎パクってんじゃねーよとかエヴァンゲリオンのコピーじゃねえかとか散々云われたわたしでも(当たり前ですがパクってません、要はそれくらい時代に即していてセンシティブな若者たちを魅了するような言語感覚を持った作家さんたちに似ていると云われる程度には言葉に対して鋭さを持っていたんですよわたしは、という意味です)(鈍いひとが誤解するといやだったので一応書きましたが鋭いひとには『みなまで云うな』って感じですねすみません)、おおっ、これはたいしたもんだ、とポンと膝を打ってしまったような感じっつーか、なんつうの? うわ、すげえなって素直におもったわけです。好き嫌いは置いといて。

しかもそれを彼らはリリカルな感じに演出しないんですな。それがまた技巧的じゃないですか。キャッチーでポップ、あくまで軽妙、言語感覚もひじょうに軽いノリで、たいへんメロディアスでありながら、それを感じさせようとしない。ピアノなんてすごくいいじゃん、ベースもかっこいいし、わたし音楽に全然詳しくないけど、こんなズブズブの素人でもわかるくらいに、ちょっとブルージーな旋律が耳に心地よいじゃないですか、川谷くんの声も、しゃくり具合がなんて情緒的! わたしはしゃくりが好きでのう、LOVE PSYCHEDELICO矢井田瞳も「しゃくる」という点だけで好きだったりしましたが、なんですかねこの情感というか風情というか、よいではないですかゲスさん! こんなに技巧的なのにそれを「ゲスの極み乙女」というフレーズで誤魔化してしまうあたりの感覚! 10歳の男女が家族の前で歌っちゃえる歌に昇華させちゃう感覚! テクニカル! とまあ、そういったわけで、こんなテクニカル且つ風情のある曲を作り、歌詞を書くひとが、ベッキーに惚れる? いやいやそんなことはないだろ、と思い至ったわけです。

でもそこまで考えて、いや待てゲスさんの曲を川谷くんが作ってるとは限らないか? と調べてみたら全部の作詞作曲をやってました。だよねー!!

ということで川谷くんがすごくアツい、という結論になりかけたんですが、そういえば大阪で酒飲んでたときに学友が「LINEが流出したのは嫁のせい」と云っていたのを思い出し、あれれ、そんな嫁をもらっちゃう川谷くんって実はあんまり情緒ない? って一瞬おもったけど、わたしも風情のない男と付き合ってること多いからやっぱり間違ってないのかなという気もします。どうだろうか!

結局、川谷くんってすっごいテクニカルでなかなか素敵だとおもう、楽曲も魅力的だし、というか親近感しかないし、気持ちわかるな~的なすり寄せ方をさせられる、という、実はここまで或いは計算なんじゃないかと、観念的な歌詞を書いて、わたしみたいな(世間的に云うところの)ビッチに「川谷くんわかるわー」っておもわせるところまで見越してやってる、っていうのが結論ですが、みなさまいかがでしょうか、ゲスの極みな男の子はお嫌いでしょうか、わたしはゲスな男がけっこう好きです。