アンチベビーカーと読書とボードレール

さー、ばりばり課題をやっているか、とおもえば、読書をしてましたー! ばーん!

乱反射 (朝日文庫)

乱反射 (朝日文庫)

 

先日たまたま、本の書き出しばかりを集めたサイトを知り、読みたい本を山ほど見つけてしまったのですが、時間もないので、ぐっときたのを一冊だけ選んで、図書館で借りました。ちなみに書き出しは「これは、あるひとりの幼児の死を巡る物語である。」です。

感想は、うーん……やっぱり子持ちとしては、想像するとツンと泣きそうになるところは多々ありましたが……なんだろう、「あっ、そんなに全部ことばにしちゃうんだ?」って感じでしょうか。登場人物たちが感じた、こういうことに腹が立った! 絶望した! もういやんなった! みたいなことを、いちいち書いちゃうんですよ。それをいかに書かないで伝えるかっていうのが小説の醍醐味なんじゃないかと、わたしなんかはおもうのですが……書かなきゃわからないひとが多いのかなあ。行間を読むとか、そういうことはしないのかなあ。全部書いちゃってあるから、とってもわかりやすいけど、情緒もへったくれもねえな、という感じです。まあエンタメ小説に情緒要らないんでしょうけど。

あと「みんなちょっとずつ悪いけど根本的には誰も悪くない」みたいなところが物語のミソだとはおもうんですが、わたしとしては「ベビーカーが悪い」以外のなんでもないですね。そこがもう、ずーっといらいらして、入り込めなかった。わたし昔からベビーカーは危ないっておもってて、ちょくちょく苦言を呈してきたけど、やっぱり少数意見なんですかね? だってこれベビーカーじゃなければ死んでないとおもうよ? あと二歳のこどもをベビーカーに乗せるっていうのがもう……歩けよ。もしそこに必然性をもたせたいなら、幼児の母に、腰が悪いなり身体が悪いなり、そういう設定は必須だとおもいました。一歳までは抱っこ、歩けるようになったら手を繋いで歩く、ベビーカーは使わない、それでよくねえか? っていう。わたしは当たり前にそうしたんだけど、なんでみんながそうしないのか謎です。こどもを、自分から数十センチも離れた、すぐに手の届かないところに『置いて』、よく歩けるなあと。だから事故に巻き込まれるんだよ……と冷ややかな目で見てしまいました。

文庫版600ページでしたが、昨日の夕方読み始めて、仕事しながら、トータル6時間くらいですかね。難しい表現などがないのでさくさく読めましたが、ひとつ、「晩節を汚す」という表現に痺れました。自分のことばにしてゆきたい……!

課題のほうは、昨日借りたボードレール(とランボー)の本がいまいちわかりにくかったので、ボードレール初心者向けの本を読まねば……とおもいつつ、もう課題は、コクトーとの関係性についてと、ボードレールと現代詩との比較、のふたつに絞ろうとおもいます。ボードレール本人について残念ながらなんの興味も湧かないし、知りたいともおもえないし! なんか巷に溢れるボードレール本ってやたら難しいし! 岩波文庫の詩集についてた解説も旧仮名遣いで難しいし(ほんとに文芸学科の大学生か)!

詩は時間かかりそうだから後回しにして先に荷風やろうかしら……いや難しいのを後に回すのもどうかとおもうけど、簡単なやつをさっさと終わらせて、後からゆっくり時間をかけて取り組みたいところ……。でもボードレール、興味ない(しつこい)。いや母親への執着が強いってだけでもけっこう好きなタイプなんだろうなーとはおもうんですけどね?

一方コクトーは、あんまり知らないなりに好きなので、というかうちの母親が好きなので、きっとわたしも好きだとおもいます……。とりあえず8日までに詩論は終わらせる予定。