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書き出しは誘惑する

というわけで(※4年で卒業できなくなったわけで)、読みたかった本をざくざく読んでいます!

書き出しは誘惑する――小説の楽しみ (岩波ジュニア新書)

書き出しは誘惑する――小説の楽しみ (岩波ジュニア新書)

 

 書き出し.com も素晴らしいサイトですが、わたしはこういう、ちょこっと一文だけ集めたアンソロジーみたいのが大好きで、芥川賞受賞作の一文を集めました、みたいのも面白かったです。名文に触れるのはたのしい。物語を読むより好きかもしれない。

芥川賞90人のレトリック

芥川賞90人のレトリック

 

 でも詩だとなんかちょっとピンとこないんだよなー。詩も好きですが、詩集を積極的に読む気はあまりしない……伊藤比呂美石牟礼道子も、レポート書いたのでたくさん読んで、ふたりとも思想もことばの選び方もすげえ好きですが、うーん……詩だったら谷川俊太郎がやはり最高峰で、詩集にお金を出そうとおもうのはこのひとのだけかなとおもいます。伊藤比呂美すごいけどね、打ちのめされるけどね。

まあレポートに追われすぎてゆっくり物語をたのしむ余裕がなかったので仕方なくレトリック集めたやつで欲を満たそうとしていただけの気もしますが……でもわたしはバカなので(ある意味でな、ある意味で)、「この一文はこういうところがすげえんだ!」という解説を読むと「おおおおほんとだ気づかなかったーッ!」ってなって面白いんですよ。感覚ですごいってのはわかるんだけど、どこかどうすごいのかはよくわからない、わからなくても全然いいんだけど、知りたい! 理屈として知りたい! という気持ちを満たせてすごく気持ちいいです。志賀直哉の「伊豆半島の年の暮れだ。」という名書き出しなどは、さらっと読むと、さらっと読めすぎてしまって気づかないんですけど、これはすごい名文だとわたしはおもっていて、だって「伊豆半島の年の暮れだ。」ですよ? 日本語として全然わけわからんじゃないですか。でも極限まで削り落としてこれですよ。意味がわかってリズムがばっちりで、ものすごく潔くて素敵、こうは書けない……! 「ある年の暮れ、伊豆半島での出来事である。」とかではもう全然ダメなわけです。でも書けないですよ、伊豆半島の年の暮れって! すごいでしょ、すごいんですよー!!

とかいつも興奮して話すんだけど全然伝わらないのよねこれ、かなしい

で、この本の中に出てきたグッとくる書き出しです。

 道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。

どうですかこれ……すごいよね……!
かの有名な川端康成の『伊豆の踊子』なのでご存じの方も多いでしょうが、わたしは読んだことがなかったので、おおおおおすげえええさすがノーベル賞うううう、と打ちのめされました。伊豆半島の年の暮れ、も同じなんですが、上の一文も、主語がないんですよね。主語として表記されているのは「道」と「雨脚」なんですが、「天城峠に近づいたと思う」のは「私」なんですよ。すごくないですか、これ。絶対こんな風には書けない……!

というようなことを、「名文」として紹介されると、じっくり吟味して「おおおおすっげえ!!」と興奮するんですが、物語の中にさらっと書いてあったら、たぶんこの凄さには気づかずに読み流してしまうんですよね。もったいねえ。なんかこれは、料理大好きなひとが三ツ星レストランで、みんながうめえうめえと無心でムシャムシャ食ってる中、「隠し味にお酢が入ってる……!」的なことを発見する喜びに近いのではないかとおもいます。別に知らなくても美味しいことに変わりはないし全然いいんだけど、「なるほどウスターソースをちょっと混ぜるのね!」とか気付いちゃうとさ、自分で作るときの参考になるじゃん? って書いてて、あー自分が創作するからこういう気づきや発見がすげえ愉しいのかー、と気づいた。書かないひとにとってはこのすごさって、別に愉しくないのかしらね。でも、一切まったくなんにも日本語を繰らないひとっていないじゃん? 手紙やメールを出したり、Twitterみたいのにちょっと書いたり、そういうことは少なからずほとんどみんなしてるだろうし、どうせ繰るなら美しいものを、とかわたしはおもうんだけどなー、と書いていて、でもわたし調理はするけど少しでも美味しいものをとか全然おもわねえなと気づいた……人生は気づきの連続や……

そんなかんじで、がりがり読書して、がりがり学んで、もっともっといろんなことを知りたいです。知ることはほんとうに愉しい。すぐに忘れちゃうわたしは何度でも愉しい。しあわせなことです。