ねむいストレスねむい母

最近は、滅多にならなかった頭痛が頻発していたり、眠りが浅く夜中や明け方に何度も目が覚めたり、常におなかが張っていて下痢と便秘をいったりきたりしていて、まあ生活が変わったし身体に変化があって当然だよなーとおもっていたのですが、なんかこれ、或いはストレスってやつじゃ……? と気づいて恐々としております。そんなの単なる定義だし、ていうか名前だし、だとしても違ってもどうでもいいんですけどね。いやもうとにかく苛々がつらくて、自分の苛々にばりばり頭から食べられてしまいそうな感じです。こわいよー

常に苛々していますが、スイッチが入ると、ものを蹴ったり、大声を出したりするし、外だとそれができないから苛々の張本人をガン見したり、やばいときは大嫌いな舌打ちが出ます。貧乏ゆすりとかもそのうちするようになりそうだし、そういう自分がいやで、そういう自分にまた苛々します。こどもがわたしの顔色をうかがって、機嫌がわるそうだと身体をピタッとくっつけて「大好き~♡」とか云ってきます。泣けます。おかあちゃんも大好きだよ!!! と抱きしめられることがほとんどですが、やばいときは無視しています(後で謝ります)

こんなの単なる自己中であって、だれがわるいって自分だけがわるいんです。感受性の強すぎる、完璧主義すぎる、神経質すぎる、気にしすぎる、それでいて怠け者でなんにもしない愚図で凡庸な自分がわるいんです。だからいつも結局じぶんに苛々して、なんかもう疲れた、しにてー

みたいな感じに久しぶりになっていますが以前のようなセンシティブな死にたい感ではなく、もっと図太くてズボラな感じのだるさです。どんなにしんどくてもこどもの送り迎えして飯を作って金を稼がねばならないのです。つらい。前だったら仕事も行かず誰にも会わず自分の感性だけをぎゅっと抱きしめて数日しくしく過ごせばよかったのですが、いまとなってはそうもいきませんから、どうしたってどこかで諦めて「はいはい死にたい死にたい、感受性感受性」と開き直りつつ図太くこどもを風呂に入れて尻を洗うわけです。こうして母は強くなっていくのですね。

わたしはもう死ぬまで母ですね。死ぬまで母なのですね。わたしが死ぬまで、或いは子が死ぬまで。子が死ぬ、それは最悪の結末です、おなかがいたい、トイレ行きたい、昼の時間はトイレ行けない、おなかいたいつらい、いつか漏らすとおもいます、おなかいたい、子が死ぬ前にわたしが死ぬ、それが明日かもしれなくてこわいから今日死にたい、そういう。

ストレスだーやったーていうか自律神経失調症ていわれたときもこんな風だったよね。

あー……しんどいな、わりと。あれれ、おかしいな、ついこの前「もうあれが滅多にこなくなった、もう必要ないし、忙しいし」とかいってなかったっけわたし? 「もうああいうの書かないし、必要ないし、忙しいし」とか書いてなかったっけ???

眠い。そっか睡眠不足か。そっか。そっかそっか。そうだよね。そうだね。ねむい