読んだ本、書きたいこと、生活

 読書記録は読書メーターにつけますと書いたけどいっこだけ。

その女アレックス (文春文庫)

その女アレックス (文春文庫)

 

すごかった……めっちゃおもしろかった。ひっくり返った(なにがだ)。

競作の締め切りまであと半月ですしそろそろ書き始めようとおもっているのですが、さてわたしはどんなものを書けるだろう、どんなものを書きたいのだろう、と考えると、決して純文学的なものではないような気がします。そもそも純文学と呼ばれるようなものはほとんど読んだことがないのであった、そういえば。

戯曲の課題でミステリー調のものを書いて、先生に、えっ、こういうの書くんだ意外ーなんでこういうのにしたの? 的なことを訊かれたんですね。プロットの段階で一度先生に見せて、これこれこういう感じのものを書きたい、と話したんだけど、それがいわゆる純文学的なお芝居とでもいうか、家族に起こる些細なことの顛末を丁寧に追ってゆく的な? そういう感じだったのに、仕上がりはミステリーになっていて、なんでこうなったの? と先生に訊かれて、正直そんなこと訊かれるとおもってなかったから答えを用意していなくて、なんも考えずに口をついて出たのが「こういう仕掛けがないと、観てるひとにたのしんでもらえないとおもったので」だったのは、後から考えるととても感慨深いとおもいました。

わたしはずっと自己満足のためにものを書いてきて、これから先も究極的には自己満足のためにしか書けないのだけれど、でも読むひとには愉しんでもらえないとどうしてもいやな気がする、というか、サービス精神なくして、わたしという人間の考えをただ表現したって、そんなの面白いわけないじゃんとおもう。そして面白くないものなんか誰も読まないし、面白くない芝居の脚本なんか書いたって誰も演じてくれないんだから、創作にはサービス精神を遺憾なく発揮しないとならんとおもう。もちろんわたしの場合は、だけど。もともとが面白いひと、賢いひと、魅力的なひとの書くものであれば、サービス精神なんかなくたって面白いんだよ、太宰とかさ。いや、太宰はけっこう気遣いさんだからサービス精神でいろいろ書いてた気がするけど、うーん、三島とか? 宮沢賢治とかさ。彼らの書くものが面白いのは人間力が高いからだよ。もちろん笑い的な意味じゃなくて、魅力的という意味で。

やっぱりこういう、読み終わって、うおー面白かった! と高まりつつ、かなしくて、まっとうで描かれるべきことを描いているものが、わたしは好きです。そういうものを書きたいけど、ぜんぜん書ける気がしないし、きっと書かないとおもいます。もう書きたい気持ちはなくなってしまったし、書けることもなんもないとおもう。卒業のために書くけど、それだけだとおもう。わたしはもうこのまま、つまらないひとりの、なんでもない、なんもしない、なんもできない、ただの肉の塊として、生きて死んでいくんだけど、全然それでよくなってしまったのだ。ざんねんなことに。

なるべく早く死にたいけれど、みずから死のうとするほどの意欲もなく、朝ごはんに酵素など飲んでいる。わけがわからんというのです。