イヤイヤ期の乗り越え方

はい、前回の続きですよ。

というわけで、② しつけについてです。しつけっていうと重いんだけど、こどもに教えられることをどうやって教えるか、という部分ですな。

すごくよく訊かれたのが「イヤイヤ期をどう乗り越えたか」という質問で、ずっと連絡をとってなかった女の子が、これを訊くために久しぶりにメールをくれたりしました。最近また訊かれたので、「あ、これはみんな知りたいことなんだ、じゃあ書いておこう」とおもったわけです。なんかこれ訊いてくるときって、切実で、せっぱつまってることが多い気がするし。

なので今回は、②ーA, イヤイヤ期についてです(どんだけ長くなるんだこのシリーズ)

結論からいうと、イヤイヤ期は姉弟ともにありませんでした。なので、イヤイヤ期を乗り越えたことはありません。母に訊いたらわたしと姉もなかったらしいので、我が一族には無縁のような謎のイヤイヤ期。理由はよくわかりませんが、理由についていくつか考えてみました。

1) こどもが反抗できなかった

うちは娘も息子も、気性が穏やかで、自己主張するほうでもなく、すごく空気を読んでしまうタイプです。空気が「読める」ではなく「読んでしまう」と書いたのは、こどもにとって決して利点だとおもえないから(大人にとっては利点だとおもう、意図的に選択できるのであれば)。でもふたりとも否応なしに「読んでしまう」ので、周りの子に譲ったり、あわせたり、我慢したりすることがすごく多い。周りのお母さんたちからは「いい子だね~!」「やさしいね~!」と絶賛されますが、親としては、いい子とか優しいとかそういうことではないとおもうし、すごく心配です。でもそれも含めてこどもの性質だから、ちゃんと観て、ちゃんと肯定するようにだけ心掛けています。たとえば「ちいさい子に譲ってあげていたね」とか「あのとき云い返さなかったね、我慢してたのおかあさんは知っているよ」といった具合に。

なのでわたしに対してもすっごく我慢をします。わたしは「こどもをナメない」を信条にしていますが、同時に「こどもにナメられない」ようにもしていて、つまりそれは、「おまえは小さい人間で、俺は大きい人間、ただそれだけ」という感覚なんですが、わかんねーかこれじゃ……なんていうか「おまえには小さいがゆえにできないことがある、それはわたしが手伝おう。そして、わたしが大きくなったがゆえにできなくなったや忘れてしまったことについては、おまえの力を貸しておくれ」みたいな感じ。「親だから」というくくりで、これはやらねば、これはやってはならん、みたいなことをあまり考えないようにしているわけです。親だけど人間だから、機嫌がわるいときもあるし、間違えることもある、そのときはちゃんと認めて、ちゃんと謝る、みたいな。親だからちゃんとしなきゃって考えて我慢したり、できないことしようとすると、親であることがしんどくなるじゃないですか、だから、ひととして我慢する、ひととしてちゃんとする、ということはあっても、親としてはあんまりしてません。この違い、うまく説明できないんだけど伝わるだろうか……。

なのでこどもに対しても「お母さんなんだから(お母さんであるがゆえに)いつもにこにこしてる」みたいなことはなくて、「わたしはいま機嫌がわるい」ということは普通にあって、もともと気分のムラが激しいほうだし、メンスのあたりなんかは「あたしゃ今日機嫌わるいよ!」って宣言しちゃってます。向こうにしたら「知らんがな……」でしょうけど、しんどいのに親だからって理由でにこにこするのも、なんか変じゃん? ていうか無理、わたしには。だから不機嫌な期間が終わったら「ごめんねー! もうご機嫌だよーん!」って思いっきり仲良くすることにしていて、こどもはめっちゃホッとしています。そりゃそうだ。

なので、こどもはわたしの顔色をすごく気にします。それはもう、全然いいことだとおもわないんだけど、わたしも母親の顔色を気にして育ったほうで、それは思春期を超えるあたりまでとてもつらかったし、いやなんだけど、でもいま母親のことすごく好きで、ああいう接し方をしてもらって良かったとおもっているので、こどもにとっても、しんどい時期あるかもしれんけど、これでいいとおもってる、たぶん、わかんないけど!

といいつつまあ、こどもが親の顔色を気にするかどうかって、親の接し方とこどもの性質と、半々くらいだとおもうんですよね、体感。まわりの、全然親の顔色を気にしてなさそうなお子さんを見るに、まあ親の情緒が安定しててのびのびやってるタイプと、こどもがあんまり細かいことを気にしない天真爛漫タイプにわかれますもん。そのどっちも、だと最高な気がしますが……うちは親が情緒不安定な上に、こどもは神経質で繊細なので、そりゃまあ、顔色気にするよねっていう。そういう理由でイヤイヤができなかったという可能性は、あるとおもいます。

2) 好きにやらせていた

わたしは確固たる信念を持って生きているほうですが(読んでりゃわかるよ)、譲れない部分はせいぜい100に10個か、せいぜい20個くらいで、残りの80いくつは「どーでもいい」とおもっています。壁にクレヨンで絵を描いても、床に食べ物を撒き散らかしても、落ちていたわたしのものを壊しても、どーでもいい、とおもってました。なので、こどももけっこう好きにやっていたため、イヤイヤ期があったのかよくわからなかった、という可能性はあります。

上の例でいうと、壁のクレヨンは、一度やられたあとは「水で消せるクレヨン」に買い替えたし(実はアレ、完璧には消せないので注意だ。別に気にしなかったけど)、床に食べ物を落とすのは、じゃあ床をきれいにしておけばいいだけの話だとおもったし、落ちていたものを壊すのは、こどもの手の届くところに置いておく自分がわるいので叱るのは筋違いだし、なので叱らなかった、というか叱る理由がなかったというか。

ごはんを残すのも、「こどもにだって食べたくない気分のときはあるよなー、わたしにもあるし」とおもって無理に食べさせなかったけど、一生懸命作って残されるとイラッとするから、あんまり一生懸命作るのやめよーとか、そんな感じでやってました。まあ、それはいまでもですが。

あ、あとは大人の事情でこどもを急かすのは意識してやめてました。「早く!」っていうのが嫌いで、だってそれわたしの勝手なスケジューリングのせいじゃん、こども付き合わせてるだけじゃん、とおもってたので、急がせない、彼らのペースで、着替えも、靴を履くのも、歩くのも、やらせてました。それでもどうしても急ぐときは、抱っこさせてもらうか、「悪いんだけど、ちょっと急いでるんだ、いいかな」とお願いすると、ちゃんと急いでくれたので、「すいません、助かります、ありがとう」という風に接してました。母の家に住んでた頃は、田舎で、電車が一本乗り遅れると一時間こない、とかだったので、お願いして急いでもらうこともありましたが、ちゃんとお願いをきいてくれたので、問題なかったです。

あと「うるさい」とかもですね、静かにしててほしいのはわたしの都合なので、「静かにしててもらえると助かるな~」とお願いして、していてくれたら「助かるよ、ありがとう」という、そういうことがふつうだったので、困ったことにはなりませんでした。まあ、こどもの情緒が安定していたおかげでしょうし、生まれつき癇癪もちの子だとそうもいかないでしょうから、こればっかりは、ほんとうにありがたかったです。

しつこいくらい書いてますが、わたしはアンチベビーカーで、どこにでも抱っこか、手を繋いで歩いていたのもよかったとおもいます。ベビーカーって、自分も乗ったことないからわからないけど、絶対に尊重されてる感ないとおもうんですよね……荷物感がつよいというか。抱っこや手繋ぎであれば、お互いの速度と温度で進めるじゃないですか、こう、意思や欲求を確認し合いながら。それを、生後数週間からほとんど毎日やっておく、というのも大事だとおもいます。

好きなことを好きにやらせる、そのために、なにが好きかをお互いに伝えあっておく(確認する、伝えておく)、というのは、一緒に暮らしていく上でとても大事だとおもうので、それはもう、産まれた瞬間からのことですよね。どうやって産むか、からかも。無痛分娩も完全ミルクも、そうしたいひとはそうしたらいいとおもうけど、わたしはイヤだなあ、なんか、赤子との意思の疎通ができる貴重な機会を、ひとつふいにしてしまう気がして、もったいない。

3) あまりこどもとべったりしてない

実はこれは大きいかもです。上の子のときは産後1年くらいゆっくりしましたが、その後は夫(当時)が専業主夫になって家庭に入り、わたしは仕事に明け暮れていましたし、下の子は産後2ヶ月ほどで産休明けて、こどもは託児所に預けながらバリバリ働いてたので、こどもとみっちり付き合ってないかもです。わたしの当時の仕事は出勤もかなりルーズで、いまの職場のように「1分たりとも遅刻できない」という環境でなく、「すいませーん、1時間遅刻しました~テヘ☆」みたいなノリだったので、こどもとの生活には有り難かったです。周りも、まああそこは赤ちゃんいるし、という風にみてくれていたので、助かりました。

そのためイヤイヤ期も、仕事しながらだったし、あんまり覚えてないのかもしれません。こどもの父親たち(息子と娘は父親がちがいます)に訊いたら、イヤイヤ期あったよって云われるかもしれんな……という気もします。ははは、適当だ。

そんな感じで、ゆるゆるとなんとなく、気がつけば第一次反抗期を過ぎていたのでした。思春期にドカンと反抗されるかもですが、それはそれで愉しみ。

次回に続きます!