戯曲、そして小説

戯曲の作成と併せて戯曲論の課題レポートも進めておりまして、第一課題は謡曲の「卒都婆小町」、第二課題は三島の「卒塔婆小町」を書いたわけです。で、引き続き課題図書である野田秀樹の「赤鬼」を読んだらもう素晴らしくて、お芝居っていいなあなどと数年ぶりにおもい、一気にレポートを書き上げ、これがなかなかの仕上がりになったので、勢いづいて、さあ最後の第四課題だと学習指導書を確認したら、赤鬼が第二課題に指定されていました。あああああかぶってるううううううぅぅぅぅ

というわけで三島の卒塔婆小町は没にして、あとふたつ課題をやることになりました。一日無駄にしたー! むがー! ……まあ無駄じゃないんですけど別に、全然。

この前母とお昼ご飯を食べながら、戯曲が書けないんだよーとこぼしたところ、そりゃあんたお芝居あんまり観てないからじゃないの、と云われ、そりゃそうだ! とおもって赤鬼の舞台が動画サイトにあったので観たらやっぱり面白くて、戯曲をもっと読みたくなり、課題図書の井上ひさしを数冊と、課題図書じゃない野田秀樹本谷有希子を数冊図書館で借りました。で、とりあえず本谷有希子を読む。うん、おもしろい。

遭難、

遭難、

 

これは学校の先生たちの話。

幸せ最高ありがとうマジで!

幸せ最高ありがとうマジで!

 

 これは変な女にかき回される家族の話。

来来来来来

来来来来来

 

これは義母と義理の姉妹のお話。

どれもたいへんおもしろく、こういうものが書きたいなあと素直におもいました。本谷有希子は小説も面白いけど戯曲はもっと面白い。年下で好きな作家は村田沙耶香本谷有希子がツートップだとおもうなあ、あんまり読んでないなりに。で、舞台観に行きたいなーとおもって今調べたら前売り6,500円とかで無理……ってなった。がく。

それから、大学の学友たちと企画して雪女のパスティーシュで物語を作ろうという話になり、書いてみたんだけどそれはもう消した。

わたしは生まれて初めて小説を編んでみて、よく描けたとは云えないけど、書いていてたのしかったし、新鮮な発見や驚きがあって、書ききったことが単純にうれしかったのだけれど、それは「小説」として他人に読んでもらえるほどの代物じゃなくて、たとえば作者が小説を編んで読者が読むことをセックスだとするならばわたしのやったことはオナニーショーだと後からおもった。

でも書き上げたとき自分の産んだものが愛しくて大切なような気がしたのに、それを読んだひとらにボロクソのめたくそに云われて、そしたら自分の産んだものが汚物でしかないと気づいて、すぐに消した。なんかそれはすごくかなしかった。ボロクソに云われたことより、そういう他人のことばですぐに嫌いになっちゃう自分の価値観みたいなものがいやらしくて気持ち悪いとおもった。だけど、もう見るのもいやになってしまったんだから、それは消すしかなくて、それはすごい悲しかった。わたしには絶対的なものがないのかもしれないとおもうと、きぶんがわるかった。

ただまあ、それがきっちり練ったうえで一生懸命書いて自分でもとても気に入ったものだったらほんとうにしんどくてもう書くのはやめようとおもってしまったかもしれないけれど、ぱっとおもいついてばーっと考えなしに書いたものだったので、そういう意味ではダメージはあんまりなくて、でもダメージを自分にあんまり与えないためにそれほど一生懸命書かなかったのかもしれないとおもうといやな気分になる。わたしはずっとそうやって逃げてきて、がんばらないで生きてきて、ものを書くことだってがんばったことが一度もないのだった。

で、これはちゃんと頑張って書くためにきっと必要なことだったんだなと考えたら、ひどい落ち込みはすこしずつゆっくりと楽になっていった。まだ胸がぎすぎすしているけど、全部自分の問題、自分のよくないところ、醜くて愚かなせい、なので、しかたないとおもう。それはほんとうに、自分が鏡なんだから、しかたないのだ。


わたしは、わたしが空っぽであることがただこわい。
空っぽであることを目の当たりにせずに死にたい。