読んだ本メモ

一部分とはいえ、テッドがわたしの人生に入り込んできたのは、わたしが長年、信じてきたものがこなごなになった時だった。本当の愛、結婚、貞節、無私の母親、絶対の信頼――こうしたすばらしいものが、突然、まったく予期していなかった突風によって、あとかたもなく吹き飛ばされたときだった。
 そして、テッドが、若さ、理想、清潔さ、信念、感性そのもののように見えた。彼は、ただ、友情のみを求めているように思えた。
 (略)
 「良心は人間を臆病にする」という。だが、良心は人間を人間らしくし、動物とは違う存在にする。良心があるからこそ愛を知り、他人の痛みを感じ、成長するのだ。良心があって不都合なことがあるとしても、その報いはほかの人間と一つの世界に共存するために不可欠なものとなる。
 (略)
 この世界で、常にほかの人々と相反する方向で思考し行動することは、大変なハンディキャップに違いない。彼らは従うべき指針を備え持っていない。精神病質者とは、出会った人々の感情を必死にまねようとしている別の惑星からの訪問者だといえるかもしれない。この反社会的感情がいつ芽生えるかを正確に指摘するのはほとんど不可能に近いが、幼年時代の初期に――おそらく三歳くらいまでに――感情の発達が阻害された結果だと専門家の多くが見ている。一般的に、感情が内向性を示すのは、何かを失ったり、辱めを受けたりしたことによる、愛情への飢え、あるいは疎外感の結果である。一度そうなってしまうと、子どもは身体が成長しても、精神的には決して成熟しない。
 こうした人間が興奮に「酔いしれる」、あるいは本物の感情を疑似体験するゲームを楽しむ、という肉体的なレベルのみの喜びを経験する可能性はある。
 こうした人間は自分が何を望んでいるかがわかっていて、罪悪感や他人の気持ちに煩わされることがないので、しばしば性急な充足感を達成することができる。だが、内面の孤独な空白は決して埋めることができない。飽くことを知らず、常に飢えている。
 反社会的人格は、実際に精神の病気なのであるが、従来の病気とは異なるし、法的な枠組みにもあてはまらない。患者は例外なく賢く、その場にふさわしい反応や、人々を喜ばせて何かを得る芸や技術を早いうちに習得している。狡猾で、計算高く、賢く、危険である。そして、混乱している。
 第二次世界大戦中、退役軍人のための病院で精神の病を診ていたベンジャミン・スポック博士は、当時、精神病患者の看護には顕著な異性間の問題があるといった。男性の精神病質者はすぐに女性のスタッフを誘惑し、男性スタッフは女性患者に手を出す。女性の精神病質者は男性のスタッフをからかうが、女性のスタッフはからかわない。

 アン・ルール『テッド・バンディ』、下巻の半分くらい。うーむ。むむむ。。。